ふたりのせかい

きみとおまつり

「おじさん」
 少女はB5ほどの一色刷りのチラシを掲げて目を輝かせる。
「おまつり! おまつりあるの!」
 夕方、暑いからとキャミソールに短めのスカートを履いた少女がそう訴えた。
「おじさんいっしょに行こう!」
 おまつり、と何度も何度も同じワードを繰り返し、強調する。さも繰り返してすり込んでやれば行きたいと思うとでも考えているように。
「祭り行きたいか」
「だって去年はおじさん、せっかくゆかたもらったのにお仕事だったんだもん」
 そうだ。去年は祭りに行く約束をして、浴衣から下駄、巾着まで揃えたのに当日が仕事だったのだ。
「何時からだ」
「もうやってる!」
「……そうか」
 さて去年の浴衣はどこへしまったか、と頭をかくと、少女は男のシャツの裾を引っ張った。
「おじさんつかれた?」
「なににだ」
「わかんないけど、おめめの下にくまさんいる」
 がおー、とツキノワグマかなにからしいモノマネをする。
「そりゃ誰だって多少疲れてんだろ。おまえだって暑いのに疲れるだろ」
「そっか」
 ふーん、と少女は納得したんだかしてないんだかといったふうだったが一応頷いた。
「じゃあおまつり行く?」
「浴衣着たいんだろ」
「うん」
 えへ、とさっきまでのくもり顔がどこへやら、彼女は笑った。


 祭りというのは毎年町内会が開催している盆踊りのことだ。しかし少女の興味は踊りには一切なく、出店にしかない。しかもくじ引きの類いにも興味がないようで、すくいものと食べ物の屋台にばかり目をやっている。
 着付けてやった白地に紫の朝顔の入った、年にしては渋い浴衣をひらひらさせながら、少女は男の手を引いた。
 三つ編みにした髪をくるりと巻いて団子にし、お花をさしてほしいというので、先ほど浴衣の出どころであるジジイの家でコサージュをひとつ借りた。ジジイいわくデレデレな顔でもう使わないからあげると言っていたので、帰りに出店でベビーカステラでも買って行こうという話は少女とつけていた。
 大輪の紫を頭につけて笑う少女は、傍目に見ても幼くは見えない気がした。出来上がったリボン帯をつける安っぽい既製品の浴衣を着た同世代の女の子達よりも数歳上に感じられる。はしゃぐ姿は年相応だが。
「おじさん、わたあめ!」
「はいはい」
 いちご飴と散々迷ってのわたあめである。夕飯は出店の焼きそばかたこ焼きあたりで済ませる気なので好きなだけ食ってくれというていであるが、それでもどれを食べるかというのは子供の限られた胃袋と相談しながらになる。
 三百円を手渡して、行ってこいと送り出す。
「ちょっと待て、焼きそばとたこ焼きだったらどっちがいい」
「どっちも好き!」
「はいはい。じゃあそこのたこ焼き買ってくるから、おまえわたあめ買ったらここに戻ってこい」
「たこ焼き食べたら金魚すくい行っていい?」
「食ってからな。先にわたあめ買ってこい」
 気をつけろよ、と髪を崩さない程度に頭をぽんぽんと撫でてから、背中をゆるく叩いた。小銭を握り締めた少女は、一目散にわたあめの屋台に走っていった。


「ん」
 みにょん、と伸びてしまったわたあめを、急いで口に含んでいく。めったに食べないものというのは食べ方が下手なものである。こと子供に関しては。
「おいしい!」
「よかったな」
 一人分空いたベンチに少女を座らせ、男はしゃがんで焼きそばを先に一口食べた。
「ほかになんか食べたいもんあったか」
「ん、ないよ!」
 けろっと少女が言うので、そうかと返してウエットティッシュをアルミビニールから一枚引き抜いた。
「おまえ顔じゅうざらめになってんぞ」
「顔あまい!」
「アホか」
 ぐいぐいと強引に拭ってやり、んむむ、とうめく少女のそのぶさいくな顔がおもしろくてははっと笑いがもれる。
「ゆっくり食えよ」
 もう一口焼きそばを食べてから、ほれ、と焼きそばを箸に取って差し出してやる。ずぞ、と乾いたすすりをして咀嚼する少女の口の端からそばが一本はみ出していて、噛むたびに揺れるその麺がなんとも笑えた。
「おじさんお酒は?」
 口の中のもじゃもじゃをやっつけた少女が、ドリンクの屋台を指さして言った。
「帰ってから飲む」
「そう?」
「おまえはオレンジ飲むか」
「梅ジュース持ってきたからいらないよー」
 おじさん持ってるでしょ、と少女が言う。
「おじさん、金魚行きたい」
「はいはい」


「持って帰らなくていいのか」
 出目金を狙ったせいで瀕死になってしまったポイで、最終的に三匹すくったのだが、少女は持って帰らないからとリリースしてかわりに景品をもらった。
「持って帰っても飼うのたいへんでしょ」
 少女は笑った。小さな透明なマーブル模様のスーパーボールを巾着にしまって、少女は手を出した。
 その手を取って、となりを歩く小さな少女の様子を見る。
「ヨーヨーもすくっとくか」
「うん。おじさんもすくう?」
「俺はいい」


 金魚すくいでポイに大穴開けたのがよほど悔しかったのか、少女はヨーヨーを一度にふたつもすくってごきげんだった。
 紫とピンクのふたつでぱしぱしと遊びながら、嬉しそうに一歩前を歩く。
 ヨーヨーのあと、射的でくまのぬいぐるみをとってやったのを反対の手で抱きしめている。
「そろそろ帰るか」
「うん」
 ベビーカステラ、と屋台を指差す。いくつ入りがいいかなと思案しているので、十個でいいんじゃないかと五百円玉を屋台の親父に手渡す。
「かわいいお嬢ちゃんだね」
 大人びた格好をしていたからか、それとも店をしめる直前だったからか、その親父はカステラを三つ、別の小さな紙袋に入れてサービスしてくれた。
 ありがとうとお礼を言えとも言わない間に言ったので、えらいねえとその親父はさらに褒めた。
 カステラの屋台から離れ、メープルをかけたサービスのカステラをひとつ口に入れて笑顔になる。
「……ちょっと待ってろ。動くなよ」
「どこ行くの?」
「まあ待ってろ」
 変な人来たら叫べよ、と言い残して少女から少し離れる。
 戻ったとき、少女はわあ、と目をきらきらさせた。
「なんでわかったの?」
 男が手に持っていたのはたこせんだった。
 種も仕掛けもないのでその問いに答えは返さず、ほしかったんだろ、とだけ言う。
「すごい、おじさんありがとう」
 両手にものを抱えて食べられないので、くまを抱きとる。空いた手にたこせんを持たせて冷めないうちに食えと告げた。


 たこせんを食べ終えてから、ぺらいトートバッグにくまとベビーカステラと少女の下駄を入れ、少女を腕に抱き上げた。鼻緒ずれが痛いと言ったからだ。
「おじさん、今日はありがとう」
「ごきげんだな」
「うん」
 言っているあいだに少女に眠気が襲ってきて、そのまま船を漕ぎ始めた。ほにゃほにゃと寝言を言うのを、男は耳元に聴いていた。

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