ひよこ、いぬ、そしてかるがも

20160614 あなたを殺してあたしも死ぬなんて、きれいなことは言えない。

 だけどあたしは、ころさなきゃいけない。
 ころさなきゃいけない。
 目の前に転がる死体を、殺したりないとばかりにぶちのめす。頭蓋が蜂の巣になるまで穴ぼこにして、それから空になった弾倉を抜き捨てた。
 そしてまた新たなマガジンを腰のベルトから直接叩き込んで、ちいさな手のひらにはすこし大ぶりなその二丁を、振り上げる。
 試合はまだ終わってない。あたしの愛銃はまだ喉が渇いている。たとえたらふく飲み干していても、満腹中枢が死んでいればその満腹中枢が生き返るまで飲み続けて吐くほど腹に入れなければいけない。
 ひとの命が燃え尽きるさまを、ひとのはらわたが跳ね飛ぶさまを、ひとのからだに穴が開き血が噴き出すさまを、あたしも見たい。この子と一緒に。

 殺さなければ。殺さなければ、あたしは生きていけない。

       *

「セックスドラッグよりはやっぱ効くわ。最高」
 返り血でしとどに濡れた白いシャツを、ボタンを飛ばしながらくつろげる。シャツを抜けてブラジャーにまで血が染み込んでいるのをにやにやしながらぬぐい取る。血が少し伸びて、レースに赤黒く広がっていく。
 どこかの愛に生きるスーパーヒーローは「同居人曰く、返り血には赤いスーツを」なんて言ったけれど、あたしは白いシャツを汚してしまうほうがいい。殺したという事実は変わりはしないもの。その事実が積み重ならずに目に見えるのがたまらなくいい。
 またぐらに敷いた男を揺らして気を惹く。挑発するように口づける。あたしをよくしてよとささやきながら男の下くちびるをひとなめしてやる。
 血のにおいがするあたしを、男はよく思わなかった。純粋な男なのだ。いつも血と性欲のにおいをさせてドアベルを鳴らすあたしを嫌った。あたしのことは好きでしょうと訊くと、きみのことは好きだしセックスも好きだけれど、血のにおいは嫌いだと言った。だけど人殺しをするあたしのことを嫌いだとは言わなかった。
 ぐずぐずに溶けきったあたしのなかを満足させてよとひときわ大きく揺らした。
「ねえ、あんたのだってギンギンに勃ってんじゃない。はやくぶっこんでよ」
「……きみの気持ちはわからないでもないけど、情緒もへったくれもないよ」
「情緒とか終わったあとにいくらでもピロートークするじゃない。ほら、とりあえず一回イっとこ」
「……きみの一回は尋常じゃなく安いね、そういうところはあんまり好きじゃないな」
 そう言いながら、男はとうの昔にパンツを脱ぎ捨てたあたしの奥に指を差し入れた。だいたいいくらこっちがむちゃくちゃ言ったからっていきなり指を突っ込んでくるような男に前戯だの情緒だの言われても全然説得力がない。
「もっと。一本で満足する女だと思ってんの」
「……まさかとは思うけどきみ、慣らしてきたの?」
「慣らさなくっても二本ぐらいは入るわよ。早くしてったら、もう、あんたがもたもたしてる間に三回ぐらいイけるわよ」
「指で抜かず三発でもするつもりかい」
 よいしょっと、とほぐしながら騎乗位をひっくり返して優位に立つ男を、両足でロックして急かす。
「はやく。ねえ早くったら。あんただって明日朝早いんでしょ、あたしだってそうなん―?んんあっ、は、ん……あ、ちょっと黙って突っ込まないでくれる、……あたしだって心の準備が、あっ」
「……心外だな。そっちから早くって言ったくせに。それに明日朝早いんでしょう、じゃあとっととイっておねんねしよう、それがいいね」
 こういうめんどくさいスイッチの入った男はたちが悪い。もうほんとにめんどくさいしたちが悪いしややこしいしうっとうしい。
 午前一時、ベッドは上る途中のジェットコースターみたいにうるさい。


 カランをひねってお湯を出す午前四時。
「ありえないったら!」
 頭からぬるい湯をかぶりながら、狭い風呂場で怒鳴り散らす。男が起きようが知ったことではない。
「結局寝る時間ないじゃない、とっととイってねんねなんて言ったくせにあのクソ絶倫、いつかくわえたままひきちぎってやる」
 タオルにボディソープを取って、泡立てる。朝早いのはお互いさまだって? 言ってくれるわあのムッツリスケベ。あたしが血まみれの時がいちばん興奮するくせに。
「聞こえてるよ茉耶。まだ朝も明けてないんだから」
 ドアの向こうから文句たらたらの声が届く。そうこうしないうちにドアが開いて、風呂場の湯気が漏れ出す。ボクサー一枚の男―?修一郎がガスウォーター片手にこちらを見ていた。
「じゃあ真っ昼間にクソ絶倫野郎インポテンツになってパイプ目詰まりして死ねって往来で叫んでほしいわけ? 気が知れないわ」
「きみこそ往来でそれ叫べるの? そっちのがびっくりだよ、せめてカラオケルームぐらいにしといて」
 インポテンツが目詰まりなんて、とこちらをやわくねめつける。
 湯を止めて、タオルを手に取る。髪の水気を取りながら、男に向き直る。
「まあ、そんなことはいいのよ、……修一郎、あんたも風呂に入るの」
「もちろん入るよ」
 ひとくちボトルから流し込みながら、バスルームから出ようとするあたしに道を開ける。
「ああ茉耶、きみ、今日は早朝から呼び出しだ。聞いてたかな」
「知ってるわ。いい加減急に入れるのやめてほしいけど。っていうかあれもう呼び出しとか進言とかいう体裁守ってないし」
「室長とふたりっきりで愛の面談か。お熱いね」
 可愛い顔して言うことが下衆いのが修一郎という男だ。下着を脱ぎ捨てて風呂のドアを閉めようとする男のその手を、あたしはつかんだ。
「修一郎、待って」
「なに。時間なら八時だって室長が―?」
「べつにあたし、あのひととはもうなにもないわよ」
 細めていた目を、修一郎はぱちりとひときわ大きく開いた。あたしはタオルを手から滑り落してしまって、ぱさり、と床とパイル地がこすれる。
「……なにそれ、言い訳のつもり?」
 眉根を寄せた修一郎に、そんな言い方しないで、と上目にとがめる。
「違うわ。事実を言ったまでよ。もうあんた以外とはうしろめたいことなんかないから」
「僕との関係はうしろめたいの」
「うしろめたいわ。あんたをここに引きずり込んだのはあたしだもの」

       *

「ご苦労だった、深澤」
 ゆったりと革張りの椅子に腰かける室長は、開口一番そう言った。
 若干額の広い室長のその微妙な輝きを見つめつつ、あたしは淡々と返事を考えた。
「いえ、正直今回の案件は楽勝でした。室長だってそのぐらい見越してあたしに振ったんでしょう」
「まあ、否定はしないが。でもひよこには回せなかったのもお前にはわかるだろう」
「……その点に関しては面倒だなと思いましたよ」
 蜂の巣は某国の要人だった。正確に言えば要人の付き人なのだが、某国はここ数年、日本国と確執があった。極秘来日だったわけだが、完全に日本と国交が途絶える前にフロントカンパニーがこそこそと内職していた機密を本国へ持ち帰りたい、というのが目的だった。
 その機密は要人ではなく要人の付き人、要するに蜂の巣に託された。来日したのも付き人のみで、本当に極秘裏の出来事だったわけだが、蜂の巣は要人からいたく気に入られていた。本来なら要人自身が来日するはずだったのだが、他の付き人たち関係者らにも数日間の休暇、と偽らせて日本へ発たせたのも要人自身が動けばマスコミら面倒どもが嗅ぎつけると踏んでのことだったようだ。
 結局政府が嗅ぎつけたのだが、その機密というのが『ルート』だった。データだったようだが、とにかくそのルートが機密だった。なにかを運ぶルートなのか、はたまたなにが動くルートなのか、詳細は知ることを許されなかったが、この調査室にこの機密を壊してほしいという依頼が来たのがおとといの晩のことだった。
 できあがった作戦だった。いっそ警戒したくなるほどできあがっていた。ここで彼を殺してほしいという、ただそれだけの指示だった。なんの機密だったのかも知らないし知りたくもないが、蜂の巣はそうして死んだ。頭をぶちのめしたのは頭に埋め込んだチップをごみくずにしてくれと言われたからだ。
 言われたとおりに任務を遂行する。盗みであれ殺しであれ、詐欺であっても。それがこの調査室の使命だ。
 必要悪だろうが正義の裏返しだろうが、知ったことではない。わたしたちは国から求められて生きている、国の犬だ。
「まあこんな案件、そもそもひよこには回せませんけど」
 耳にはめたお気に入りのピアスをいじる。かたいものとやわらかいものが共存しているこの感触がたまらない。
「そのひよこに、よもや漏らしたりはしていないな?」
「ちょっと室長やめてくださいよ、ひよこに案件漏らしてどうするんですか。ひよこを弾除けにでもしますか? それともピロートークのつまみにでも?」
 あたしはへらへらと笑った。つまみにもならない。
「おまえなら弾除けにしそうなものだがな。俺のことも弾除けにしたくらいだ―?まあいい」
 室長はにやっと歯を見せてから、そうだ深澤、と切り口を変えた。
「清守は今日はどうした」
「清守ですか? あいかわらずぽんこつですけど」
 とぼけてみせたのがよほど癇に障ったのか、歯を見せていたのを一気に引っ込めて、頬の隅っこをひくりとさせた。
「おまえと清守が寝てると噂になってる」
「あたしと清守が。まあアパートは隣室ですけど」
「よく男女で隣室になって間違わないな」
 上司の俺とは散々間違えたくせにと言わんばかりの言いぐさである。むかついて皮肉って返す。
「あんな僕ちゃんと間違ったらあたしはド近眼でぐるぐる眼鏡のおさげちゃんになっちゃいますね」
 一笑に付してから、休めていた体勢に力を入れる。かかとをそろえて、微笑みを消す。
「では室長。呼び出しとは以上でしょうか」
「……以上だ。それから明日から報奨の一端として二日ほど、休暇を出す。寝てこい。本日中にひよこたちに二日分の指示を与えたら、今日はもう帰っていい」
「やったー超ラッキー」
「口を慎め深澤。ついでに清守を第一監査室によこせと監査室長から指示があったから昼までに向かわせろ。なんの用件かは聞いておらんがどうせ有休未消化だ。おまえほどうまく立ち回れんのが裏目に出てる」
「了解です。ではひよこたちに投げキッスしに行っても?」
「かまわん。ひよこどもはドアの外でピヨピヨしてるぞ」

       *

「……言っておくけど、僕は怒ってるんだ。わかってる? 室長と昔寝てたことも、誰かれかまわず官庁の若いのを片っ端から食ってた八十八夜な女だっていうのはもう知ってるんだ。一度に何人相手にしたとか、きみの擬似ペニスで何人昇天させたかとかそういうのももう気にする時期は終わったよ――そんな目はしないでよ、僕のは本物のペニスだって。先からちゃんと出るでしょ―?そんなのはもうこの際どうだっていいんだ。きみは僕をこの業界に引きずり込んだことに本当に負い目を感じてるの?……ちょっと、こら、よそ見しない、ちゃんと声出して」
 腰を使ってあたしを揺らす修一郎は、確かに怒っていた。おおよそ後輩とは思えない。
 修一郎は年齢は同期だが、調査室ではあたしの三つ後輩にあたる。彼自身すでに平均勤続年数の長くないこの業界で五年近くいるベテランだから、勘が悪いとか向いてないとか、そういうことはない。
 この業界に引っ張り込んだのはあたしだった。あたしを追いかけて、公務員になって、表の『調査室』に配属されてきた。一目散に追いかけてきて、前のものしか見ないかるがものようだった。そしてあたしの妙な動きに気づいて、そのままこちらから脅すように裏へ引っ張り込んだ。そうこうしないうちに悪いあたしから雪崩れ込むようにからだの関係を持ちかけて、そうしていま、恋人といえる関係にいる。
「僕から追いかけてきたって事実はもう忘れた? きみの誘いに乗ったのは僕だよ。忘れたの? もう一度再現して思い出させてあげようか」
 喘ぎすらまともに出せずに、最奥を突かれる。涙ばかりが漏れていって、頭が働かない。
「僕はなにも後悔してない。血なまぐさいこの仕事も、本当のことを言えないことも、あなたとの関係を漏らせないこの仕事も、デートも結婚もできない、そろいのアクセサリーもつけられないこの関係でも、僕はきみが好きだ。死ぬまで離れたくない。なのにきみはこの関係がいやだっていうのか。このただ部屋でセックスするしかないこの関係が、きみはうしろめたいって、」
「しゅ、いちろ」
「何度でも呼んで。何度でも、何度でも呼んでほしい。どれだけ返り血を浴びても、きなくさい仕事でも、それをこなすきみが好きだ」
「あ、いや、……だめ、修一郎」
「だめじゃない。不特定多数と寝まくってきみは自分が汚れているとか考えているのかもしれないけど、そんなのもう僕がじゅうぶんきれいにしたと思わない? 舐めてくすぐって、他の男どものにおいなんか消したと思わない?」
 修一郎は本気だった。いままでそんなに怒らせてしまったことがなくて、なんと言ったら許してくれるのか、想像もつかなかった。普段はだれにも許されないほど人を殺しているのに、あたしはいまこの自分を組み敷いている一人の男に許してもらうすべすらわからない。
「うしろめたいなんて言わないで、茉耶。僕はこの関係がだめなものだなんて思わないから」
 泣き言みたいにすがる修一郎を、あたしはもうろうとするのをこらえて両手で頭を包んだ。引き寄せられるほど力もなくて、声を必死で押し出す。
「修一郎、あたしは、……この仕事に、あたしは向いてると思う」
 息を大きく吸う。どうしても息がもたなくて、腹の中に詰め込まれるリズムに合わせて息を吐き出す。
「あたしは、人殺しに向いてる。ひとを殺したあとでも、あたしはあんたとセックスできる。でも、……あんたは、向いてない。毎晩のようにストレスで吐いてたの、あたし知ってる」
 冷たく冷えた耳を。手でやわく包んで、揉みしだく。心地いい。
「あたしは、ひとを殺すのがきもちいい。この世のなによりも生きてるって自信をくれる。腹の奥から生存本能が湧き出てくる。だからこの仕事を、……やめられないと思う。セックスドラッグにはまってドーパミン分泌が狂ったの。でもあんたは違う。いまからでもやめられる。あんたはドラッグの拒否反応が出てる。だから、表の仕事に、戻って。この関係をやめたいなんてあたしは思ってない。思ってないの、思ってないけど」
 腰を穿つのをやめた修一郎が、目に薄く涙をためている。下を向いた状態ではもうすぐ落ちてくるそれを見つめて、そして目を閉じた。
「シリアルキラーみたいな女は、あんたには似合わないよ。人殺しが楽しいって気づいてから今日までずっと言おうと思ってて、言えなかった」
 ごめん、と声も出さない修一郎にささやくと、涙が上からぽつりと頬を打つ。
 彼はあたしの喉笛に歯を立てる。整った歯列が赤く記されて、そして顔をゆがめた修一郎が眼前に広がった。

「きみをころしたいほど愛してるのに、……それでも、だめなのか」

 いつまでもイけないセックスみたいな気持ちを、皮膚一枚ほどの近さにのこして。

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