きれいなあなた

 彼女がちょっとばかり変わっているのはわかっていたつもりだ。
 入社してすぐの彼女を半年口説き落とし、ものにしてからさらに五年。一目ぼれというほどではないけれど、だいたい四目ぼれぐらいで恋をして、めちゃくちゃかわいいというほどではないけど――これは彼女自身も真顔で認める話だ――ちなみに俺自身もそんなにイケメンではない――、いい感じにキュートでプリティだ。若干おなか周りがぷにっているところも、胸がさほど大きくないことも、かわいいふりして完全なぶりっこができないところもだいたい理解しているつもりだ。いやこのへんはかなり理解している。
 彼女のすることはたいてい許してしまうし、喧嘩してもだいたい折れるのは俺だ。喜怒哀楽のはっきりしている彼女は、喧嘩するとめっぽう弱い。すぐ泣く。そして俺は彼女の泣き顔に弱い。だいたい秒で喧嘩が終わる。俺の「悪かった」「ごめん」で終わる。残念ながらこの五年で数度喧嘩したが、だいたいこのパターンがお決まりだ。そのせいで周りからは「喧嘩してるの見たことないけど仲いいよね」と言われてしまう。いや人並みに喧嘩はしているのだ。期間が人並みじゃないだけで。
 そんな俺たちもそこそこ、いわゆる妙齢――結婚適齢期になって……いるかどうかは晩婚化によって微妙な感じだが、三十を目前にして、付き合っている相手と結婚を考える時期になった。同棲こそしていないが、週末には彼女は実家を離れて一人暮らしのうちへ泊まりに来る。強制的に料理をさせているので、炊事洗濯掃除が絶望的に壊滅的で破壊的だった彼女のスキルもここ二年で爆上がりした。俺のスキルもそこそこのものの自負があるが、この二年で抜かれたような気がする。
 ともかく、年齢も交際期間も、結婚しようと告げる理由にはなると思う。そもそも俺自身は彼女と結婚したいと常々思っていたし、彼女も恐らくそうであったと思う。たぶん。
 そんなこんなでプロポーズし、彼女から照れ隠しのもみじを食らいつつ、指輪もはめてもらった。たいへんにハッピーである。なお彼女は「指輪は一個あれば十分」と言って、わざわざエンゲージリングに揃いの指輪を特注していた。なおためらいもなくカードを切りながら「わたしの指輪をナオが買ったのにナオの指輪をナオが買うの? アホ?」と申されていた。ジュエリーショップで財布を持った男に言う言葉ではない。そもそもそういう問題ですらない。気付いてはいたが、彼女、正直ちょっとアホのきらいがある。
 そんな彼女がどうしてもどうしても、と手を合わせて拝んで――頼み込んでくるので、もしややはりエンゲージでマリッジを兼用するのはまずいと友人に言われたか、さもなくばドレスは着たくないから式は挙げないというか――彼女の場合後者の方が有力だが、職場関係もあるので聞き入れることはできない。せめて披露宴だけは職場の人間を呼ぶぞ、と意気込んだ俺が悪かったのか。

「おねがい、ナオちゃん、いっしょーのおねがい! ウェディングドレス、着て!」

 スパンと言われて、一瞬自分がウェディングドレスを着ているところを想像してしまった。そこそこ身長はある方だし、痩せて見えるがそこそこ筋肉質なつもりだ。間違っても似合わない。というかまず俺が着ることはない。ああびっくりした。
 それでなんだっけ。ウェディングドレスをどうしたいんだっけ。着てほしいんだっけ。

――……俺に???

「おねがいナオちゃん、もーほんとおねがい! こんな機会じゃないと見られないから! 百パーかわいいから! 絶対似合うから! わたしが保証する!」
「俺のなにを保証するんだよ」
「ナオちゃんのドレス姿」
「ごめんな質問が悪かったな。でもそもそも答えになってないからな」
 夕飯の酢豚の味がしなくなってきた。ガムのように噛み続けた肉を飲み込んで、ビールを一口含む。
 そもそもなにしてたんだっけ。夕飯食べながら婚姻届書きこんで、ついでに式場パンフ見ながらドレスは白がいいとか小規模でいいとかなんかそんな流れだったはずでは。
「ナオちゃんのドレスが見たいの」
「偶然にも俺はセナちゃんのウェディングドレスが見たいけど」
「それは見せる。なんなら出血大サービスでペンギンタキシード着てもいい。だからウェディングドレス着て」
「それ確実に出血量俺のほうが多いよね」
「大丈夫ドレス着るくらいじゃ失血死しないから。新婚さんは夜のベッドでもっとすごいことするから」
「それはたいへん楽しみですね、今晩どうですか」
 くっ、と彼女は負けたようなふりをする。
「今晩の話はあとで決めます。ところで本日式場に行ってきました」
「まじで」
「ついでなのでお金を支払ってきました」
「セナまた自分のカード切ったな」
「その際に尋ねました。追加料金がかかってもいいので、フォトウェディングも頼みたいと」
「ほう」
「すると我らがウェディング担当の三沢さんは同じ衣装でよろしければ別途料金はいただきませんとおっしゃいました」
「ふむ」
「なのでこう返しました。違います、今回の式の内容ではなく別の様相で頼みたいと」
「厄介な流れになってきたぞ」
「別のと言いますとと三沢さんが言うので、今回の衣装をそっくり男女入れ替えた写真がほしいと申しました」
「なんてこった」
「すると三沢さんは言いました。サイズが合わないので衣装はどちらも別途予約となります。ただ同日にやれば、一衣装ぶんプラスの写真、いわゆる『和洋装二パターンで写真を撮るセットプラン』と同額でご提案できるかととおっしゃいました」
「げ」
「要するに衣装のサイズさえあれば和装かカラードレスで撮るプランを利用すると不可能ではないと」
「いやいやいや」
「三沢さんいい笑顔だった」
「そういう問題じゃない」
「ナオくんのメイクもしっかりやってくださるっておっしゃったので」
「まさか」
「ためらうことなくカードを切りました」
「……ちょっとお仕置き必要だね?」

「ナオくんのお仕置きセックスは息がもたないから嫌」
 もう動けないという様相でこちらをにらみつけてくるセナを、余裕の笑みで見つめる。
「絶倫って褒め言葉だって知ってる?」
「絶倫は別にセックスがうまいって意味じゃなくてただ単に体力バカって意味なんだよ」
 ああだるい、とセナは体を起こし、裸体にカーディガンを羽織る。
「わたしがカードを切ったので、フォトウェディング、受けてくれるよね、ナオくん」
 してやったり。問答無用でカードを切るその情熱はどこから来るのか。

「ああっっっっっっかわいい!! かわいいよナオくん! 最高!」
 髪をオールバックで一つくくりにし、かっちり固めたセナは、頬をみるみる赤く染めた。プロポーズ以来の表情である。
「それで花束持っちゃうの?! かわいいね!! もう最高だね!! 結婚しよっか!!」
「セナキャラ変わってんぞ」
 かわいいねえ、と胸のあたりに抱き着いてくるセナ。白いドレスに身を包んだ俺は何とも言えない気持ちになる。
「ああ最高。もう最高。誰にも見せたくないこんなかわいいナオくん」
「俺だって見られたくないわ」
 胸のあたりまでレースとビーズでかわいくまとめて、腰のあたりでふんわりと持ち上がるようにパニエを仕込み、身長とヒールを加味してさらにプラスオン五センチ程度のスカート。パフスリーブから伸びるまあまあごつい腕。脱毛をすすめられてなんとか辞退したひげも剃って施された薄めのメイク。正直絵面としてはきついが、化粧も着付けも誰もなにも言わずこなしてくれる。誰か笑ってくれればそれでなんとなく救われる気がするのに。
「かわいいよナオくん。着てくれてありがとう」
 えへへへ、といい年して子どものように笑うこの小さな頭を見ると、なんとなく許してしまう。

 ずるりずるりと重いスカートを引きずり、スタジオまでの少しの距離を、まるで本物のヴァージンロードのようにゆっくり歩く。にまにまと笑顔の止まらないセナを脇目に、必死で前へ歩みを進める。なんとなく少し恥ずかしい。さっきまでのドレスのよく似合うかわいかったセナを連れて帰れたらよかった。もっと言えば、同じ金額出すならセナのカラードレスとか見たかったのに。
 そんな話は実は今日までに六回ほどセナに説いていたのだが、決まってこう返されていた。
『そんな普通なこと、きっといつか忘れちゃうでしょ。ボケても忘れないくらいのインパクトあること、したいじゃない』
 確実に口実である。
 否定できない口実にひれ伏して、スタジオに入る。最近は屋外撮影はもちろん、屋内でもなかなかおしゃれなセットが用意されている。今回はセナが率先して選び、通常の写真もどちらも同じスタジオの同じアングルで希望を出していた。数枚遊びで違う写真を撮るだろうが、アルバムへはそのようにおさめたいというのがセナの強い希望だった。親へ送るぶんには通常バージョンしかおさめない旨はごり押して納得してもらった。
 白い部屋に、いくつかの家具と出窓が置いてある、かわいさを基調にしつつもおとなしい部屋だ。ホテルの部屋とも子ども部屋とも取れない程度の、よくある雰囲気だった。
 窓が少し開いていた。短めのベールがふわりと浮いて、首筋がすいたような感じがした。短めの髪に載ったティアラが若干重く、耳のイヤリングが急に冷たく感じた。
「ナオくんきれいだよ」
 手を引いて、椅子へとエスコートするセナが、どことなくかっこよく見えたのは、多分気のせいだと思う。
 指輪だけがてれこにならないまま、きれいに輝いている。

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