おそらの星よ

 余命二週間と言われた祖母が逝った。
 あっけなかったといえば、そうかもしれなかった。
 葬祭ホールの椅子に腰かけてその時を待ちながら、わたしは遺影を見つめている。

 あの晩、電話がかかってきたのは日付の変わる直前、寝る支度を済ませた時だった。
 いやな予感はしていた。病状は刻一刻と悪化していて、わたしは常から死体を見ている気分だと、そんな感想を抱いていた。
 危ないという電話と、臨終だという電話の間は数分となかった。自宅から出る間もなく、祖母は逝った。
 アルコールが入って運転できない母に代わって、たまたま―-巡りあわせとでもいうべきか―-酒を飲んでいなかったわたしが運転した。慣れた道を、真夜中、慣れない運転で走らせる。車通りは少なかった。親族の誰よりも早く到着したその四人部屋で、祖母はいつものように、静かに眠っているように見えた。
 あの晩の祖母の温度を、わたしは知らない。畏怖のような感情から、触れられなかった。

 親族が揃い始める夕方、にわかに騒がしくなる玄関口で親戚の相手をしながら考える。
 祖母と一緒に写真を撮ったのは、つい三日ほど前だった。病室で、おもむろに母が写真を撮ろうと言った。わたしも来ていることだしということで、母が新調したてのスマホで数枚撮った。
 巡りあわせと言うのはほんとうにやっかいなもので、ほんとうになんの気なしに撮ったその写真が最後の写真になってしまった。最後に声を聴いたのは、もう年単位で前の話になる。遺影にはその写真は使えず、祖母が一番いきいきしていた頃の写真を、アルバムをひっくり返して探した。

 通夜を終え、親戚を食事に案内した。大半を食べ終え、祖母からすれば遠縁になる親類の存在が鬱陶しくて一度席を離れた。うるさい。好きなように飲み食いすればいい。祖母とさしたる回数も会ったことがないくせに。初めて会う遠縁に苛立ちしかおぼえなかった。
 親族の部屋に安置された祖母の棺のふたを少し開けて、顔を覗いた。人生最後の風呂を済ませ、化粧も施された祖母の顔は元気にバスツアーに出ていたあのころと変わらないように見えた。削げた肉を綿でごまかす化粧師の腕に感謝した。見ていられずにふたを閉め、ソファに寝転がった。家族が入ってきて、なんとなく気まずくなって寝たふりをした。涙は目薬でごまかした。二十四時間後には灰になって会えなくなる顔を思い出しながら、わたしはたぬきを決め込んだ。

 母にも言ったことはないが、わたしはこの祖母がじつは苦手だった。優しいがなかなか厳しい祖母で、ことあるごとに口うるさく色々と言ってくるひとだった。足を閉じて座りなさい、ピアノは叩くものではありません、箸の持ち方はこうです、云々。もう片方の祖母が優しかったこともあったと思う。あと祖母の家は山の中にあって虫が多かったのもある。夏に蚊取り線香を焚くのに、自分の髪を一本抜いて焦がして遊んで怒られたのは、あれはわたしが悪かったのだけれども、玄関先に大きな蜘蛛がいたのは未だにトラウマだ。家自体は祖母が病気になるよりも前に道路拡張で取り壊されてしまって、あの玄関を見ることも、もうないが。

 外はむしむししていた。食事を終えて帰る親類を見送り、わたしたちも一度自宅へ戻った。支度だけ済ませて会場に蜻蛉返りする。祖母と同じ部屋で眠るのはもう六年ぶりほどになる。スーパーでつまみと酒を買って、葬儀会館にこっそり持ち込んだ母に付き合ってチューハイを飲んだ。市販のカップのコーヒーも持ち込んだ。母は会館で用意されているビールを二瓶空けた。
 テレビをつけた。夜更けすぎ、もう大した番組もやっておらずチャンネルを回すだけ回して切った。少しだけ話をした。なんとない会話だった。祖母の祭壇に飲みかけのコーヒーを五秒供えてそれも飲んだ。そのまま布団を敷いて、母と隣り合わせに寝た。母と一緒に寝るのもずいぶん久しぶりだった。数年ぶりに母と一緒に寝るのが葬儀場というのが、あんまりだった。

 あの晩、数年ぶりの帰宅となった祖母がその自宅へ運ばれてから、そのまま祖母の家で葬儀の契約をした。隅で話を聞きながら、なんとあっさり人は死ぬんだろうと思った。病院での支度から契約まで、あまりにも手慣れた手つきですべてが終わっていく。終末医療の病院に、葬儀屋。祖母の四人部屋でも、ときどき患者が入れ替わっていた。この世界はひとが死んでも回っていく。ひとが死ぬことで回っている世界もある。ひとが生まれて回る世界があるように。
 あの晩は明け方までかかって契約をした。それからわたしは自分の家で一時間だけ眠って、早朝の用事を済ませるついでに母に差し入れをした。眠れなかった。母もなんとなく眠れないと言った。ふたりでパンを食べながら、遺体の隣で拝みながら食べた。祖母は入院生活の大半を経口食以外のもので生きた。なんとなく味のしないパンを、ただ甘いだけのコーヒーを、ありがたみもなく、わたしは食べた。

 イヤホンで音楽を聴きながら眠った朝、葬儀を迎えた。妙にさっぱりと目覚めて、化粧を整えた。前の晩まともに寝なかったせいか、なんとなく体がだるかった。
 前の晩のアレンジみたいな、聞き飽きそうなお経を聞きながら、このあと燃えていくはずの祖母の箱を眺める。妙な気分だった。生きると死ぬの境目はどこにあるのだろう。祖母は入院生活の大半を呼吸器と胃瘻をつけて過ごした。声も出せず、食べることも、自分で呼吸することもできない。五十音表を使った視線会話すらままならなかった祖母は、生きていたのか、生かされていたのか。
  
 かつん、かつんかつん。足元になにかが落ちる音がした。
 音の正体に気づいて手でおさえた。なにが転がったのか、一瞬見当がつかなかったが、手元を見て気づいた。数珠が切れていた。

 親族がバスに乗る。それを正面に見据えながら、自分はどこに座ろうかと子供のように迷っている。
 霊柩車が先を走る。乗らなければ、祖母の最後には会えない。
 皮肉だ。こんな時にまで親戚付き合いを気にしなければならない。……どうしてこんなに、悲しいのに。

 空を流れる雲のスピードが速い。夏はこれからだ。初盆は来年になる。
 今年の盆はまだだ。風が吹き抜けてサマースーツの襟を揺さぶり、わたしを追い越していく。乾いた夏のにおいがした。ポケットでちぎれた数珠が転がる。
 祖母とわたしを置いて、本格的な夏が始まろうとしていた。

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