白い吐息

 帰り道。それは間違いなくデートの一端で、俺は絶望しそうだった。
 百均で真剣に選ぶ彼女。選んでいるのはお菓子である。
 手にはすでにそもそもの目的である消しゴムとシャー芯が握られており、買い物は終了したはずだったのだが。
「洋子、まだか」
「うーん、待って・・・極細か普通か新味か・・・」
 うぬぬと悩んでいるのはなにかと言うと、言わずと知れた名菓子、ポッキーである。
「洋子」
「待ってあとちょっと」
 必死で選んでいる。
 可愛い。そう言うと、いつも照れたように笑い、ありがとうとつぶやく。
 女同士で言い合うときはそんなことないよなどと言うくせに、とは思うが、その表情がまた可愛いから許すと俺は言えず、いつもふいと無視してしまう。
 なんとなく向こうも気付いているようなので、それはそれでいいとして。

 この状況はちょっときつい。

「あれカップルかな」
「うわーあてられそう」
「彼女さんうらやましいなぁ」
「幸せそう、彼氏さんもかっこいいし」
「彼女さん、中学生っぽいね」
「でもきっと彼氏さん高校生だから高校生じゃないかな」

 耳が痛い話だ。本当に痛い話だ。どうしたらいいだろう、俺はしばらく悩んで洋子に声をかけた。
「俺は極細がいいと思う」
「そうかな、じゃそうする」
 洋子はさっさと白に赤いボディの箱を手に取った。むしろあまりに早く決めてしまったのでむしろ不安になる。
「いいのか、大分迷ってたけど」
「いいのよ、遼太郎が言うんだから」
「・・・」
 少しの息苦しさを感じていたことに申し訳なく感じる。
 ごめん洋子、俺は。
 行きましょうか、と洋子は立ち上がった。はしたなく広がっていた校則通りの丈のスカートを手で直しながら。

 たとえ彼女がスーパーの片隅で座ってポッキーを選んでいようと、彼女はとても頭がよく、機転がきく。俺などの比にならない。
 そもそも、同じ秤には乗れないのだから。
 俺達の唯一と言っても過言ではないコンプレックス。
 それが俺達の間を阻むただ一つの壁、越えようにも越えられない壁。三歳の歳の差だった。
 ・・・いや実は唯一ではないのだが。

 歩きながら、俺達はポッキーをかじった。
 ぱりぽり、ぽりぽり。
 軽快にかじるが、なかなかのくせものなのだこいつは。おいしい、そう言いながら笑うのだ。鬼かこいつ。
 そんな色気垂れ流しの彼女、チョコのない先端を指で押して食べ進める。CMでよく見るようなあの食べ方。
 現実で見ると、こんなにも色気に溢れている危険な食べ方であることを実感させられる。
 ごく、と動く彼女の喉がエロい。音が、振動が、体温が、すべてが俺をおかしくする。
 俺にまるで壊れてしまえと言うかのようにうるさく俺の耳の中にこだまし、たたきつけて翻弄する。
 手など繋いでいないのに、どうしてこうも緊張してしまうのか。
 俺はそれでも男のはずなのに、ああなんとこの人はこうも俺を無意識に誘うのだろう。罪だとわかっていないようだ。
 ひどい女だ。
 俺を噛みちぎり、引き裂き、骨まで俺を犯すのか。その勢いで俺を飲み込んでしまいそうなほど彼女は天然で本能的で率直で、そしてしたたかな雰囲気をかもしだしていた。
 無論そんなものないに等しいわけだが、ただはたから見ているならばそう見えそうだという話で、実際どうなのかは俺にはわからない。
 したたかさなどないと言っておきながら曖昧な話だが、本当にわからないのだ。
 実は持っているのかもしれない、しかしそれを俺の前で出したことがないのだ。
 そしてそれがわかるほど彼女を理解できていないし、もとより俺自身の経験が深くない。
 ぱりぽり、ぽりぽり。まだ音は響く。
 ふとその音が止まったのは、残り一本の遠慮のかたまりができた時だった。
「ねえ遼太郎」
「なに、洋子」
「一年だよね?」
「うん」
「早いわ、もう一年経つのね」
 ふと感慨深げに呟く洋子。
 薄く目を閉じてうつむき笑むのも、彼女の癖なのだともう気付いている。そのくらいなら気づける。
 付き合い始めて一年、俺達はそこに立っていた。
 ふーっと笑って、そして急に動き出した。なにやら焦っている。
「や、やだわ」
「どうしたの洋子」
 はうーと随分弱っている。
 聞けば、どうも携帯を教室の机辺りに置いて来てしまったかもしれないという。
「やだもう、最悪だわ」
「取りに行く? 俺は構わないよ」
 しょんぼりと肩を落とす洋子。本当に馬鹿だわデートなのに、とうなだれたあと、
「行くわ・・・夜に遼太郎とメール出来ないもん」
 天然とは本当に恐ろしい。

 洋子の学校は俺達のデートコースのすぐ近くだった。
 待ってて、と言われて指定されたのは末恐ろしい場所だった。
「待って洋子、」
「ほんの五分でいいからっ」
「でも、ちょ、洋子!」
 しかし洋子は待たなかった。ちょっとだから、と言い残して校舎へと駆けて行った。
 風が吹く。十二月の冷たい風だ。
 身を引き裂くような、冷たさと鋭さを持つ風だ。はあと吐く息が、その風に切られてゆく。
 俺が息をした証を、風は無残にも切り捨てる。
 顔を上げた。周りの視線が集まる。
 こうなると気まずいのは俺の方である。彼女は本当にこういうことに疎い。
「やだ、誰かの弟?」
「可愛い、中学生ね。あのコート、うちの弟と同じ指定のやつだわ」

「ただいま遼太郎、ごめんね待たせて」
「・・・うん、大丈夫。行こうか」
 うん、と彼女は微笑み、足を一歩踏み出した。

 なにが悪い。
 中学生と高校生が恋愛してなにが悪いんだ。
 付き合い始めたころ、周りから少し反発を受けた俺は、そう言い返したことがある。
 そのときその場に彼女はいなかったが、のちにそれを伝えると返事はすぐに返ってきた。
『私と付き合って、遼太郎はなにか後ろめたい?』
 言い返せず、彼女の言葉を止めることは出来なかった。
『なにか恥ずかしい? 気にしてる? それとも私に飽きちゃった? 疲れる?』
 そんなことないと言い返すと、彼女はこう切り返した。
『・・・ありがとう。だから今度言われても言い返さないで。言い返したら私も遼太郎もそれを気にしていることになる』
 真意をはかりかねて弱っていると、彼女は俺の手を取った。
『大好き。私は今と未来を信じる。遼太郎も信じたいものを信じて』

「信じたいんだ」
 唐突に言った。とても急だったと思う。
 でも俺は言いたかった。歩いていた足を洋子は止めた。洋子は驚いたように目を上げ、そして伏せた。
 察しのいい彼女は、なにがとは言わなかった。

「私もよ、遼太郎」

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