わたしとことりと、

わんらい17/使用お題:薬指の束縛*冷蔵庫の中*零れる




 そこにいたのはこのよのなによりもうつくしい少年であった。



 もういつから居るのか、わたしにはわからない。気づいたらここに居たのである。。
 まず説明させて欲しい。わたしはれっきとしたハンス国の王子であって、けして変人ではない。そして頭のおかしい患者でもそういう癖を持っている人間でもない。わたしはけして望んでここに居るわけではない。
 時間の感覚ならある。ここが冷蔵庫で、自分が死んでしまっていることならよく知っている。そこまで馬鹿ではない。察して欲しい。
 もう物言えぬ、人形のような、そして屍蝋化しそうになっていることもよくわかっている。正直わたしはそこそこいいおとこだったのだが、もう見る影もない。いやそれ以上説明しないでかまわない。
 これはそれを踏まえてのおはなしだ。知りたい人だけ読んでくれてかまわない。うつくしい話をしよう。



『リーニャ』
 男が呼んだのはわたしのことだ。リーニャというのは愛称だが、この際本名は言う必要はないだろう。知ってほしいことはそんなくだらないことではない。
『はい、どうされましたか』
 男はこちらにそろそろと歩みを進めていた。いや、正確には彼は歩みを進められないのだが。
『ひとつ、リーニャに話しておきたいことがあるんだよ』
 男はわたしよりふたまわりほど年上だった。ふさふさの髭をたくわえ、うつくしく男らしいヘアスタイルに固められたその髪は固そうだった。
『なんでしょう』
『これからのことだよ』
『これから、と申されますと』
『リーニャと僕のことだよ』
 男はいやらしく、きたない微笑みを浮かべた。この男はうつくしい顔をした少年や少女を無差別に愛する癖を持っていた。しかし性交渉にも、それらしいことにすら及ばず、あくまで男は若いそれらを飼っていることりのように可愛がり、愛することだけに情熱を注いでいた。
 わたしはこの男の推定百二十二人目のことりだったが、わたしはこの男がひどく嫌いだった。なにせきたないのだ。気持ち悪い匂いがする。どんな匂いかと言われても困るが――例えるならそう、首を吊ったにんげんの匂い。
 本当にするわけではない。ただ臭うのだ。匂いというよりは臭いの方が正しかった。
『ええ』
『今晩、また僕の部屋へおいで』
 その時に話そう、と男はうつくしく微笑んだ。しかし私には下卑たクズの微笑みにしか見えなかった。



 水が零れたのは、その夜のことだった。零れたのはとりあえず私が飲んでいた水だという話だけさせてもらう。
 わたしは非常に気が高ぶっていた。こんな臭い男とまさか夜半まで話すことになるとは思わなかったからだ。高ぶるというより殺したいほど苛立っていた。
『……なにを、したんです』
 息も絶え絶えに、わたしは男を見た。やはりその顔はこの世のふきだまりに愛された顔をしていた。笑うな、その顔で。
『なにも。ただリーニャを愛しただけ』
 ふふ、と心底嬉しそうに笑った。わたしは二重の意味で吐き気を覚えた。
 座っていた椅子の背もたれに倒れ込むことはできず、床に落ちた。どす、と音がしたが痛みは感じなかった。
『……どうするおつもりです』
『もちろん、リーニャの知っているとおりに』
『わたしはエンディケ国王妃のところのディーナがいなくなったことしか知りません』
『……おや、そうだったのか。てっきり僕は君はもう全て知っていてそうされたいと思っているのかと思ったよ』
『クズが……』
『綺麗な顔でそんなことを言っていたら痛い目を見るよ』
『もう見ています』
 ははは、と男は喜劇を見たかのように笑った。ひどく楽しそうだった。
『そろそろ、効いてくる頃かな?』
『……やっぱりいろいろ盛りましたね?』
『とっておきのをね。おやすみ、僕の愛らしいリーニャ』



『百二十二個目の、僕の愛おしいことり』



 わたしの記憶はここまでだ。よく知っているだろうと思うが、わたしは今冷蔵庫にいる。
 もう男の思うままだ。保存され、彼の玩具になってしまった。
 結局あの水のせいでわたしは死んでしまったわけだが、一日三回、この扉があくのを知っている。
 食事の時間だ。だいたい朝昼晩、早朝六時から6時間おきに開いているらしい。正確にはわからない。
 その際わたしの食事も用意されている。朝はパンとミルク、昼はチキンか魚。夜はもともと小食だったせいかあっさりめのパスタかサラダであることが多い。これがうまい。正直信じがたいがあの男の料理の腕はいい。だいたいぺろりと完食してしまう。その様子をあの男も嬉しそうに見ている。
 今は悠々自適だ。あの男の顔さえ見なければわたしは今史上最高に幸せな少年に違いない。
 …………そうだ、じつは話していないことがあるんだ。
 まだ時間があるようだね。もうひとつ、話を聞いていかないか。わたしもまだ夕御飯には多分時間があるんだ。……ああ、“それ”は触らないほうがいい。わたしよりも先にここに居たものなんだ。



『約束ですよリーニャ王子』
 彼女はわたしを見た。まだ王宮にいた頃、あれはおそらく東の庭園がダンデライオンのテラスだったころだから、まだむっつかななつのころだ。
 彼女はわたしの二人目の乳母だった。彼女はわたしに一番長くついてくれた乳母だった。わたしがあの男のもとへ行くまでは四六時中わたしの世話をしてくれていた。
『わたくしのおそばを離れないでくださいまし。いくらユーリアが誘っても、ついて行ってはなりませんからね』
『ナニー、それはひどいよ。どうしてユーリアはいいのにわたしはだめなの』
『なんでもです。王子である自覚を持ってくださいまし』
 彼女はまだ三十にもならない女なのに古くさい口のきき方をした。ユーリアというのは彼女の娘だ。当時、一緒に育てられたわたしとユーリアはなにをするにも一緒だった。
『だって約束したんだ。結婚しようねって』
『まあ。リーニャ王子にはディーナ王女さまという許嫁がおりましょう』
『でもわたしたちは愛しあっているんだ。五年後には結婚する』
『まあまあ、そのようなことを言ってはなりません王子』
『だけど、ゆびわももう作ったんだ』
 その時見せびらかした三つ葉の指輪は、今でもわたしの薬指にはまり続けている。ユーリアとわたしをつなぐ、唯一の鎖だった。



 男に目の前でユーリアをころされて、しかしわたしだけが生きたまま男の城に連れてこられたのは、それから四年と数日のこと、ディーナ王女が行方不明になった動乱のさなかであった。

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