抱いて、いかせて、そして愛して

光るちくび愛を深める編

 汗ばむ手のひらに、また力が入る。
 気持ちよすぎる快感をその手で逃がしながら、でも声だけは止められずに口からひとりでにこぼれ落ちていく。
 やまない律動がそれをさらに追い立てて、崖のふちまで追い詰められる。
 ひとの手に、ひとのそれに、己のいちばん弱いところを触れられるなんて、夢にも。


「いつから光るようになったんですか?」
 今日一日かけていた伊達眼鏡をもてあそびながら、ハルカはちらりとこちらを見た。きれいな肢体、透き通るような白い肌。このからだに、もう数度組み敷かれている。
 今しがたあられもない声を出したばかりの喉はどうにもいがらっぽい。普通に叫んでいるならまだしも、のけぞりながら高い声を出してしまうぶん喉を傷めるスピードは速い。
「イクミさん、ぼくすごく気になります」
「……そうか」
 どうにもちくちくする喉をさすりつつ、返事だけひとまず返す。
 初めてのセックス以来、ハルカは異様なまでに胸筋――こと乳首に執着するようになった。舐める吸う、引っ張るつねる揉む。おかげでものが触れるとつらい。ピアスを開けられないだけましかもしれない。さっきまでだって散々揉みしだかれた。
「……そんなひと昔も前の話、今さら」
「今さらでもぼくは知らないんですから、ねえイクミさん」
 なおも言い募るハルカに、牽制するように視線をやる。
 ハルカはまだ若い。自分とひと周りほど離れていることをかなり気にしているようだった。恋人が人生の先を歩いていることに、言い知れぬ不安があるらしい。
 対して自分は恥ずかしい過去しかないぶん、あまり昔のことは話したくないたちだ。
「昔の話はそんなに必要か?」
 思いのほかきつくなった口調で返すと、ハルカははっとした表情になり、――眉を下げ、首を傾げた。
「……ごめんなさい。そういうつもりじゃなかったんですけど」
 肘立てで寝そべっていたからだを、滑るようにして動く。ベッドの上でこちらに巻き付いてくる彼は、まるで母に甘えるこどものようだった。
「いや、……悪かった。少しむきになった」
 素肌に素肌が触れあい、骨盤の右あたりに触れる髪の毛がこそばゆくて、ぽんぽんとその頭を撫でる。やわらかい。黒よりも少し明るいような髪が、しおれたように巻き付いている。
 昔の話をするのは苦手だ。でも、話をするだけでハルカが安心するのなら、と思う程度には、ずいぶん毒されてしまっている。
「お前、コスプレはやったことあるか」
「……ないですよ。オタク趣味もありませんし、ゲイイベに行ったことだって――だいたい、ゲイコミュニティに触れたのも『どんちゃん』が初めてなんですから」
 いつもの居酒屋を思い出す。まあたしかにあの場所に触れたら初心者情報から玄人プレイまで触れられるから、他に行こうとも思わなくなるだろうが。
 ……幸せな時代があるぶん、相応につらい過去もある。
「俺が初めて行ったのはちょうど……お前よりひとつかふたつ下のころで、初めてコミュニティに触れたのはイベントだった。知ってる人がいないだろうと踏んで、行ったこともなかった二丁目のど真ん中」
 お前みたいに俺も『どんちゃん』が初めてだったらよかったんだがな、とハルカの右耳をさすりながら語りかける。
「知ってて行ったんだが、その晩はバニーナイトでな。ネコは全員バニースーツ着用がドレスコードで、あとは自由。作法を知らんかったもんだから、思いっきり準備してヒールまで履いて。あのころから筋肉あったから浮いてたとは思うんだけど、声かけてくれるやつに片っ端から初めてだって話したら結構みんな話してくれてな」
 若かったなあと顎をさする。今あんなものを着る勇気はないし、ましてそういう場に出ていく勇気すらない。
「気に入ったやつに声かけて、だめだったら次探せって次々に言われて。見た目がタイプのやつに一発目で声かけたら、そいつの好みじゃなかったらしくて、ボロクソに言われて泣いて帰ったっつー笑い話だ」
「笑い話だね」
 ハルカは笑んだような表情で返した。ラッキーとでも言い出さんばかりの表情だ。
「……ハルカさん、いちおう心の傷になってんだけど」
「でもその笑い話がなかったら、イクミさんの処女はだれか違う人のものになってたでしょ」
 ハルカはいとおしむように太ももに巻き付いた。四十も目前にしたようなおっさんの処女なんか気にしてどうするとは思うのだが、――処女がコンプレックスになっていた分までハルカが好きでいてくれるようで、悪い気はしない。
 最近少し筋肉の落ちたからだを、さもいとおしむように頬ずりする。体毛が刺さって痛いはずなのだが、ハルカは気にしていないようだった。その光景に、幼児のようなたまご肌が異質だ。
 女神のように美しい青年は、太ももに絡めた指を――そうおいそれと口にできない場所へ伸ばして触れた。
 ぴくりと反応したのが気をよくしたのか、ちらちらと指でかすめて、風でも通り抜けるように奥へ入り込んだ。今夜だけでももう何度いかされたかわからないその最奥を、彼だけが暴ける。一番いいところも、彼だけが知っている。じらすようにその周りだけを撫でられて中途半端に息を乱し、むずがっている様子を見て、悦ぶような表情を見せ、そしてささやいた。
「イクミさんの人生のなかでイクミさんを抱いた男は、僕だけがいい」

       ◆

「ハルカちゃんが絶倫? 一生分やりつくした? なにそれのろけ?」
 アンタの一生分のセックス少なすぎない? レオはあきれた表情で言った。
「毎晩隙あらば何発でも打ち込んでくるんだよ、俺の腰が成仏するわ」
「昇天させてもらってんだから似たようなもんでしょ。ハルカちゃんうまいんだったらよかったじゃない」
「ほか知らねえからうまいかどうかはわかんねえけどな」
 おそらく相性はいいんだろうよ、とは言えず、もごもごと酒で濁す。
 ひとりっきりでやってきたひと月ぶりのどんちゃんで、目を輝かせるレオにつかまって小一時間。もうすでにドライでいけるようになりハルカの打ち込み最高記録は抜かず四発、二晩に一回は必ず失神させられ、おとといやった風呂での剃毛プレイでアナルにいちもつを突っ込まれながら限界までカミソリで剃り撫でられて感じてハルカの顔にぶっかけたこと、それにより現状自分がパイパンであることまで喋らされた。
「アンタたち付き合って一ヶ月でよくそんなチャレンジするわね。剃毛なんて興味あったの?」
「ふざけんな俺じゃねえよ。目ぎらぎらさせながらカミソリ片手に迫られたらジェイソンかなんかに会ったみたいに動けなくなるぞ」
 おおこわい。ちょっとした怪談でも話すように言うと、レオは逆に頬を染めた。
「いいわねえアタシも鼻息荒く迫られたい」
「……」
 だめだ。こいつにはなにを言っても無駄だった。
 残っていたグラスを飲み干し、二千円を出してカウンター向こうのマスターに声をかける。
「……帰る」
「あらまっ、今日は早いのねえ、また夜もコレなの?」
 指で穴を作りそこに人差し指を――レオは下品にも全開の笑顔で言う。
「ここんとこ毎晩だって言ってんだろうが。多少の努力はするよ」
「やだぁ! んもー! えっち! 色ぼけ!」
「言ってろ」
 レオのスプレーで少し固めた頭を撫でる。年齢を感じさせないようにおしゃれにしているレオがうらやましいと思った。努力次第なのはわかっているのだが。
「……イクミちゃん?」
 ぽかんとしているレオをおいて店を出る。家ではおそらく、ハルカが仁王立ちで待っている。

       ◆

 取り残されたアタシの隣をケンちゃんが陣取る。呆けたようになっているアタシの酒を追加オーダーして、自分はテーブルから持ってきたグラスを傾けた。
「……イクミちゃん、あれ、絶対癖になってるわあ……」
 今しがた触れられた頭を両手で触れ直す。セットが崩れていないか――というのではない。
「今まで一度たりともなかったのよあんなこと……イクミちゃん変わったわあ……」
「いい変化かな」
「いい変化よ……ただし無自覚にまき散らしてるのはよくないわね……」
 追加のグレフルサワーをぐいと一気に半分空ける。
「でもイクミちゃんが幸せならもうなんでもいいわよ」
 からんと氷を揺らしながらアタシは微笑む。
「ハルカは飽きて手放すふうでもないし、イクミちゃんはぞっこんみたいだし。ずっと仲がよければそれでいいのよ」
「……」
 軟骨のからあげをひとつつまみ、そういえば、と話題を変えるべくケンちゃんのほうを向いた。
「無自覚に頭なでなでするようなふたりはいったいどんなセックスするのかしらね」
「人生に拗ねてるイクミくんがピュアっ子ハルカくんにほだされる天使プレイ。拗ねてるのがなおると犬をかわいがるようにできまちたね〜えらいでちゅね〜ってやる」
「なるほど。アタシとしては逆に子どもみたいなハルカが物知らないのに物知ってる風なイクミちゃんによしよしされながら突っ込む逆よしよしセックスを推すわ」
「逆よしよしセックス」
「それにより今まで満たされなかったはずのお互いに深い多幸感が生まれる」
「多幸感」
「そして離れられなくなるので最終的に毎晩激しいセックスに至る」
「それがいつしか剃毛プレイへと発展」
「……」
「……」
 不毛、とはお互い言わずともわかってしまったので、静かに黙ってしまう。
 友人のセックスほど見たくないものはないが、友人のセックスほど妄想がはかどるものもない。
「あー誰かに抱かれたいわぁ……」
「遊びじゃないならお相手するよ」
「だからあと五年は遊ぶんだってば」

       ◆

 ハルカはバックから挿入することを嫌う。
 顔が見える体位――もしかすると乳首が見える体位――でなければ挿入しない。負担がかかるからと腰の下に折った座布団を敷いてでも後背位を避ける。
 今だってそうだ、尻の穴が中からめくれ上がってインサイドアウトしそうなほど開発されているが、その穴が一番よく見える体位は避ける。
 暗闇に、きつく光る桃色が浮かぶ。ハルカはこの桃色を撫でさするのが好きだった。
「イクミさん、イクミさん……イクミさん」
 突き上げるたびに名前を呼ぶのは、いつしかハルカの癖になっていた。
 声にならないような喘ぎが、喉の奥でくすぶる。時たま高く出てしまう声が、じつはまだ少し恥ずかしい。
 一層強く奥を穿ってから、ハルカのそれが腹の中で破裂する。動きを止め、スキンの中でゆるく勢いを失っていくそれを感じながら、自分のペニスの先も熱くなっていくのを感じた。筒にぎゅうとひとりでに締め付けられるような感覚が走ったあと、それはハルカと俺の間で白いものを吐き散らした。
 はあ、はあとハルカが息を切らしているのを、自分の光る胸が呼吸に上下するのを、じっと見つめた。ハルカの表情は疲労でうつむいているので見えない。さすがに弱く萎えたハルカのそれは、しかし三ラウンドほど終えているというのに出ていきたがらなかった。かすれた声で抜いて、と頼んで初めてずるりと出ていく。出ていく隙にも喉の奥が鳴った。
 抜き終えて初めて、ハルカが俺の胸に倒れこんだ。自分よりもがたいの大きい男の両足を抱え上げて腰を振るのだから、ハルカの体力には参ってしまう。疲れるからやりたくないとは思わないようで、いつも誘うのはハルカのほうだった。
「ハルカ、……シャワー、いいぞ」
 汗でべたつくハルカの肌に手を置く。手のひら越しにハルカの心音が聞こえた。いつもより早いその鼓動を、いとおしく感じる。
 撫でるままに天使の羽に触れた。ハルカの肩甲骨は、薄い。重く暴れまわる足を毎晩抱え上げて、肩こりにならないだろうか。
「イクミさんも一緒に入る……?」
「ばか言え。体力底なしの二十代と一緒にすんな、俺の腰に一生サポーター巻かせる気か」
「コルセットかあ、……イクミさんのコルセットなら見たいなあ」
 くすくす笑いながら、ハルカは上体を起こした。唇と、光る胸にくちづけを落としてから、先にいただくねと風呂へ消える。
 からだじゅうがハルカと自分の体液でべたついていた。愛されている。先ほどまで暴かれていた最奥がうずく。
 もっとほしい。もっと愛してほしい。もっと、もっと。
 腹筋の間をゆっくりと流れていく自分の精液が、わがままな自分のように見えた。

 自分のからだが、ハルカのかたちを覚えていく。
 自分のこころが、ハルカの息遣いを覚えていく。
 自分の中にハルカが刻み付けられていくのを感じながら、いつか、ハルカと終わってしまう日が来たら、自分はどうなってしまうんだろう、と他人事のように考える。
 俺はハルカのことを愛しているし、ハルカも追いかけてきてくれたほどには俺のことが好きだと思う。
 でもいつか老いていくこのからだで、いつまでハルカをつなぎとめられるだろう。いつまでハルカの心は自分にあるだろう。ハルカに話せば失礼になってしまうので話すことはないけれど、満たされて幸せを感じるタイミングでいつも考えてしまう。
 ハルカも自分もゲイで、女を愛することはない。でもハルカにいつ結婚するのかと訊かない家族はいない。自分もいつまでかそうだったように、周りからは求められる日が来る。
 そうなって、優しいハルカは周りの願いを拒めるだろうか。ゲイであること、まして自分よりも一回り年上のおやじと付き合っていることなんて言えるだろうか。
 ハルカがシャワーを浴びる音が聞こえる。目の前がぼやけて、涙が落ちた。
 どうして幸せな時に、幸せなことだけを考えられないのだろう。

       ◆

「イクミさん、旅行行こうよ」
 そう切り出したのは賑やかしいショッピングセンターの、旅行会社のテナントの前だった。ハワイやグアム、ヨーロッパなんて文字が躍っている。
 日曜日の家族連れが幾人も通り過ぎていく。周りから、自分たちはどう見えているんだろう。
「僕、温泉とか入りたいなあ」
「温泉か……」
 渋ったように口にした俺に、ハルカは気付かなかったように続ける。
「貸し切りの温泉がついてる旅館とかだったら、湯けむりエッチとかできそうだね」
「……お前、頭ん中そればっかりか」
「そればっかりじゃないよ。浴衣のはだけたイクミさんとか、日本酒で酔って大胆なイクミさんとかもあるよ」
 一緒じゃねえか、という言葉は飲み込む。温泉地のパンフを数冊引き抜きながら、ハルカはこちらに微笑みかける。
「今すぐ予約していこうよ。イクミさん、なんだかんだ出不精なんだからこういうときじゃないと腰が重いんだもん」
「お前のせいで毎日腰が痛いからな」
「意味が違うってば」
 もう、と言いながら勝手に店内へ入っていく。

 結局、旅行会社の窓口で勝手に話を進めてしまい、来月の頭の土日に一泊二日を組んできてしまった。貸し切り温泉のついた部屋。ハルカが財布を出したが、さすがに年下に出させるのは気が引けて俺がクレジットカードを出した。ハルカのむくれた顔を見るのが面白くて、今度行くときはお前が出してくれ、と笑った。
 新幹線と電車で数時間の距離。付き合ってまだ半年にもならないが、二人での旅行は初めてになる。

 当日は妙に空高く晴れた天気になった。会うのはいつも俺の部屋ばかりなので数度も行ったことのないハルカの部屋まで迎えに行き、新幹線に乗った。
 二時間、とりとめのない話をした。旅行前にハルカがひとりどんちゃんへ行き、レオにのろけたこと。旅行に行くので土産を楽しみにしていろと部下に伝えるとどなたと行かれるんですかと当たり前のことを訊かれて返答に困ったこと。恋人と行くと伝えたこと。男だとは伝えられなかったが美人の恋人であるとは言えたこと。噂の彼氏と旅行へ行くと唯一打ち明けている友人に伝えるとよかったじゃんと喜んでもらえたこと。
 景色はめまぐるしく変わっていく。新幹線を下りて、在来線に乗り換える。
 会うといつもセックスばかりして、あまり話していなかったなと気付いたのは、次の駅で降りるというときだった。いつも会うと夕飯もそこそこに明け方までからだを重ねていた。ピロートークこそすれど、ここまで長く話したことはなかった。
 こんなに話すのは初めてかもしれないな、と俺が言うと、いい機会だったかもしれませんねとハルカが返した。土日の少し混雑した電車の中、降りる駅のアナウンスを聞きながら、手をつないだ。

「広い! すごい! 見てイクミさん!」
 畳の上、ハルカは跳ねるように駆け回っている。嬉しそうに笑っているハルカを見て、つられて笑う。
「よかったな」
「うん、ありがとうイクミさん」
 へへ、とハルカは駆け寄り、ぎゅうと抱きついた。
 その軽いようでしっかりした腰に腕を回す。急に、胸が苦しいような気がした。

 温泉から見える夕焼けは、真っ赤に染まっていた。湯船につかったとたん体に触りだすかと思われたが、この後夕飯が控えているからか手を出してこない。どこか安心したようながっかりしたような気持ちになる。
 熱めの風呂の中で、どちらも話そうとはしなかった。静かに、湯船の湯が揺れる音だけが耳に入ってくる。
 長風呂できない性質が響いて、十分も経たずに風呂を上がってしまう。うっかり湯船なんかでされてしまったら突っ込まれる前に失神しそうだ。
「もう上がっちゃうの?」
「長風呂できないんだ。のぼせる」
 からからと引き戸を開けながら答えると、ハルカは思い出したように声をかけた。
「浴衣、戸棚に入れておいたよ。紺色がぼくのだからね」
「……忘れてたな」
 サンキュ、と返すと、天使のような微笑みで自慢げにこちらを見た。
「ちょっと奥さんみたいだったでしょ」
 そうだな、とは、なぜか返すことができなかった。



「ご飯おいしかったあ」
 ハルカは腹を撫でながら満足そうに仰向けになる。
 付き合ってしばらくしてから気付いてことだが、ハルカは思いのほか大食漢だ。外食の際、特に一品物を出すどんちゃんのような居酒屋なんかは量を控えているという。その分お替わり自由のランチ定食なんかはもりもりと腹に入れていく。どうやってその天使のような体型を保っているのか、自分には見当もつかない。
 結んだ帯がきついとぼやき、締めを緩める。だらしなく開いた胸の合わせが、上気して色づいた肌を縁取る。限りなく中性的で美しいのに、どこか雄のにおいを感じさせる。
「もうだめ、入らない」
「食べすぎだろ」
 口の端を吊り上げるように笑うと、つられてハルカも笑った。ほろ酔いで表情筋の緩み切った顔がどうにもかわいらしい。
「イクミさん、したい」
 とろんと今にも眠りそうなやわい表情でささやく。
「イクミさんをぎゅってしたい……」
 かわいい。自分の恋人はどこに出しても恥ずかしくないかわいさ。このかわいらしさで普段ごついおっさんのケツを掘ってるかと思うと信じられない。
 テーブルの向こうで座椅子にだらんともたれるハルカは、迎えるように両手を広げた。
 まるで料理を蹴散らしてこっちへ来いと言わんばかりだ。いとおしい。
 どうしてハルカが俺を好いてくれているのだろう。
 かわいいよイクミさん。きれい。もっと見せて。そうささやいてくるハルカが、信じてしまって、でも信じたくて、信じられなくて、百パーセントで信じたいのに、どうしても最後の一歩を踏み出せずにいる。
 ハルカがきれいだ。かわいい。つよく抱きしめたいし、抱きしめてほしい。なのにそれを口に出せない。ほんとうはこの関係は嘘なんじゃないかと。
 いつまでも動かない俺にじれて、ハルカがにじりにじりとずり寄ってきた。
「イクミさーん」
 あぐらをかいたその膝までにじり寄ってきて、そして手のひらをぽんとそこに置いた。
「イクミさん、抱きしめてもいい? 抱いても、いい……?」

 からだだけでもいいと思った。こんなからだで、こんな年で、こんなおっさんでも抱いてくれるなら。魅力なんかなくても、とりあえずの間に合わせの、溜まった性欲の発散道具にしてもらえるのなら。
 なんでもよかった。ハルカが俺を抱いてくれるのなら。
「いいよ」
 悲しいかな、嬉しいかな。迷いなどなかった。

「あァ……ッ!」
 勢いのままに貫かれて、数十分ムズついていた穴がからだじゅうに電気を飛ばした。
 相変わらず乳首は馬鹿みたいに光っている。切れかけの電球のように、時折点滅する。
 ハルカのいちもつは見た目によらず大きい。筒の中をぎちぎちに詰めるように、それこそ押し込むように入ってくるそれが、苦しい。
 苦しい。苦しかった。気持ちよければそれでいいのに、頭が余計なことを考え始める。
「イクミさん、……気持ちいい……?」
 結合部も己の口からもあられもない音を立てながら、首を縦に振る。……突き入れのリズムに合わせてしまったのでただ揺れているだけに見えたかもしれない。
 自分の筒からずっとなにかが出ているような気がした。なにも出ないような、でもずっとなにかが出ているような。きもちいい。どこかにいってしまいそうなほど。
 ハルカは優しい。自分がどうしても動きたくても、俺が痛がるから、気持ちいいのだけを知っていてほしいからと、絶対に激しく突いたりしない。処女に対するそれを、そのまま俺に適用している。
 むちゃくちゃにしてほしい。めちゃめちゃに抱いてほしい。痛くてもいい。明日立てなくて置いていかれてもいい。意識がなくなったっていい。殺されてもいい。だからむちゃくちゃにしてほしい。
 ゆるゆると腰を揺らして俺が慣れるのを待っているハルカの、その細い手首を掴んだ。
「……っもう、いいから……」
「でもイクミさん、まだ……」
 俺の指など余裕でぐるりと一周してしまうその細い手首を、少し、握る力を強める。
 ハルカに裏表がないのは知っている。でも、いつも、このセックスが最後になるんじゃないかと思ってしまう。
「痛くない。思いきりやっていいから、……ハルカが気持ちいいように、して」
 忘れないように、痛みごとからだに憶えさせておきたい。刻み付けるよりも、もっと深く。
 何度刻み付けても、忘れてしまうような気がして。

       ◆

「イクミさん、お風呂行きますか」
 深夜二時を少し回ったころ。腰の震えがようやくおさまって、ゆっくり息がつけるようになって、また妙な手つきでハルカが腰を撫で始めた。
「風呂に行けっていう触り方じゃないぞ、ハルカ」
「ばれちゃった」
「ばれちゃったじゃない。……先に入れ」
 どうにも力の入らない腰が言うことを聞かない。
「無茶なこと言うから。……痛くてもいいなんて」
 可愛かったなあ、とにやつくハルカを手で払って風呂へ追いやる。いつもそうだ。交合のあと、ハルカは少し意地悪に、饒舌になる。
 部屋についた風呂に入るハルカの、そのシャワー音を遠くに聞く。いつか、こんなことがあった。酔いつぶれて、初めて部屋で抱かれた、あの日。
 あの日もこんな気持ちだった。コンビニに朝飯を買いに行っていたハルカに、嘘をついて部屋を出た。
 ハルカと付き合い始めて忘れそうになるけれど、俺の乳首は光る。それが特異なことで、普通じゃなくおかしいことも知っている。
 おかしいことをひた隠したくて、だけど一度きり抱いてくれたそのことがうれしくて、その一度きりの想い出で一生生きていけるとさえ、思えたのに。
 どうして、わがままになってしまう。
 はだけた浴衣を見た。引っかかるようになっているその布切れに、自分を想起する。
 汚れた着物は洗われる。でも洗っても落ちなければ処分する。
 きれいではない俺は。

 ハルカが風呂を上がっても、俺は布団に転がったままだった。
「イクミさん、いい加減風邪ひくよ」
 ほら、と肩を叩くハルカを、俺はどうしてもかわいいと思った。美しいとも思った。
 老いていく己を、汚れていく自分を考えながら、日ごと美しくなるハルカを思った。
「ハルカ」
 手を伸ばした。頬に掌を添えて、その麗しい肌を撫でた。すべすべしていて、水に触れているようだった。風呂上がりの上気した頬色が、また美しさを色濃くしている。
「なんですか、イクミさん。なんか今日、変ですよ」
「そうか」
 また、彼の前から消えたいと思った。あの日逃げたように、今すぐ。
 こんなに美しいものを、俺という道に引きずり込んでしまった。その代償は大きい。本当ならこんな後ろ暗い付き合いなんかしなくてよかったはずだった。ハルカは俺に惚れていると言った。何度も言った。俺だってそれは信じている。信じているけれど、それが、いつまでも続くとは思っていない。
 ゲイが悪いわけじゃない。でも、こんな年の離れた、つまらないオヤジと付き合うことはないはずだった。
「ハルカ、別れようか」

「……なんだ、そんなこと」
 ハルカは布団に打ち上げられたような俺のそばにへたり込む。そのまま、俺の胸の上にすとんと頭を乗せた。
「もう、そんなこと今さら言われても、別れないもん」
 布切れ一枚もないその胸の上に、手を滑らせる。妙に立っているその乳首を指がかすめた。ぴくりと震えて、ぼんやり光った。最近知ったが、感じるとやや強めに光る。
 その様子を見て、ハルカは安心したように笑った。
「よかった。僕が触るのは、いやじゃないんだ」
 じゃあ、別れなくても大丈夫だね。ハルカはさも当然のように言った。
「……別れようっつってんだぞ、俺は」
「だってイクミさん、こういうこと言う時はいつも不安そうなんだもん。不安なのをどこにもやれなくて、いつも変な方向で爆発させようとする」
 乳首を跳ねていた指が、胸筋を押した。弾力のあるその肉の上を、トランポリンのようにジャンプする。
「そんな泣きそうな顔しないで、イクミさん」
 泣きそうなのはハルカのほうのように見えた。どこか、疲れたような表情だった。
「ずっと、そばにいたいんだ。最初からそうだったでしょう、僕がずっと、あなたのそばにいたのに」
 何回伝えたらほんとに伝わるんだろうね。ハルカは言った。
「何回好きって言ったら、信じてくれる? 何回好きって言ったら、別れようなんて思わなくなってくれる……?」
 こんなに、愛しているのに。
 ハルカはさめざめと涙をこぼした。
こんなハルカを、どうして安心させてやれないのだろう。どうして愛されていることを信じられないのだろう。
「……ごめんな、ハルカ」
 俺も好きなんだ。ただ、ずっと悪い考えが頭をよぎって、それに惑わされてしまうことをとめられない。

 気が付いたら、外がやや明るいような気がした。うっすら眠っていたような気がする。ハルカは俺の胸の顔をつけたまま、すやすやと寝息を立てていた。
 いとおしいと思った。そばにいられるだけの時間を、これから先、全部ほしいと思った。
「かわいい」
 その言葉が出たのは、自分の口からだと思ったが、そうではなかった。
 ぱちりとハルカの瞳が開いて、やんわりとほほ笑んだ。
「この旅行で渡そうと思ってたものがあるんだけど、イクミさん、もらってくれますか?」
 誕生日でもなんでもない、ただの休日。初めての旅行記念みたいなものかと易々いいよと伝えると、スエード地の小箱が現れた。
 その小箱の中身を一瞬で察して、押しやった。
「ハルカ、それはだめだ」
「どうして」
 かわいい表情で、小首をかしげた。どうしてでも受け取らせる、その様子が見て取れた。それでも、俺は強く言い放つ。
「それは、もらえない」
「高いから? そうだったらイクミさんが同じものを買って僕にくれたらいい」
「そうじゃない」
「じゃあどうして。……永遠の約束はいや? 僕が、あなたをつなぎとめておきたいだけっというのは、理由にならない……?」
 ぱかりとハルカが箱を開けた。中には、シンプルな銀色に光る指輪があった。
「結婚できなくても、書類に名前を書くだけのお遊びでも、こんなものに頼ってでも、僕はイクミさんがほしい」
 だから、ずっとはめなくていいから、もらってください。そう言って、ハルカは俺の指にぴったりとはめ込んだ。

「べただけど、僕が安心したいだけなんだ。だから、もらってくれるだけで、いいんだ。細かいことは、気にしないで」
 ずっとそばにいてほしい。そんなことがハルカの顔に書いてあった。なんだか乳首が光る他に、人の心が読めるようになった気がする。ますますエスパーになった。くすりと笑って、俺はまた口を開いた。
「また、いらんこと言って、呆れていなかったら、止めてくれ」
「……そうするね」
 ちゅう、と俺の唇に小さくキスを落とした。ハルカの目の端に涙の乾いた跡があった。
「郁巳さん」
「なんだ、遥」
 ふふ、とハルカはほほ笑んだ。お互いの鼻先がかすめた。
「来年も再来年も、また旅行に行こう。新婚さんみたいに、ふたりで仲良く」
 カーテンの隙間から、朝日が差し込んでいる。

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