葡萄だとは知らずに

20170120某ン連軍属少年妊娠物語の残骸(未完)

   7

 腹の中でなにかが蠢いているのに気づいたのは、明け方、起床時刻の五分前だった。
 このところどうにも寝つきが悪く、おまけに昨日から風邪気味で、その夜は他の隊員と別室のベッドに沈んでいた。
「んん……っ」
 ごろりとひとつ寝返りを打った。仮眠室のベッドは固い。
どうにも腹がごろごろした。下痢をしているわけでもないのだが、もしかすると食欲がないままになにも食べていないのが悪いのかもしれないと思った。
 なにか口に入れるかと考えたところで、またあの嘔吐感が襲った。
 仮眠室に突っ込まれた理由がこれだ。感染性の病気でほかにうつされては困るというのが上の言い分だ。まだ隊員には余裕があるからか、ずいぶんと優しい対応だ。
 バケツに吐瀉物をぶちまけながら、今吐いているものはなんだろうかと考える。昨晩もまともには食べていない、この吐瀉物も水ばかりだ……。
 また腹の中でなにかがもぞりと身じろぎをして、思わずなにを守るでもないのにいとおしくさすった。


 この国は豊かだ。しかし枯渇している。
 戦争が始まったのはいつからだろうか。兵役についてすでに三年、イリヤはいまだ整備部から異動がかかったことがない。人員不足になればすぐに整備部から引っこ抜かれるのだが、まだこの国はそこまで貧しくないらしい。
 資源だって豊富だ。軍の試算では今後このまま戦争が続いてうっかり石油採掘地がひとつ破壊されても、百年は資源が枯渇しないらしい。まあこの国の軍は脳筋だから、どこまで本当かはわからないが。
 だが枯渇していた。この国は既に正常ではなかった。


 人に手を加える。整形という意味にとどまらない、人の倫理にはむかい、殺し、おとしめていく。この国の人間改造の域は禁忌の神の域に達していた。
 狂い切った国は人間が人間に手を加え、さらに狂わせていく。
 この国は非公開の研究所の一室で長年それを研究してきた。そうして人間のクローンを作り出した。赤子のころからぱっきりとした金色の髪にまどろむ青灰色の瞳、ぷっくりと白い頬。ユーリヤと名付けられたそのクローンは当時世界中の赤子のどれよりも素晴らしいと賛美し、色とりどりの服を贈り、髪飾りを買い上げた。育ちゆくその赤子をペドフィリアのごとく研究者は愛で、あやす。しかしまだプロトタイプだったユーリヤは原因不明の脳の萎縮に耐えきれず、二年でこの世を去った。あの日研究者たちは喘ぎ泣き叫ぶユーリヤをどうすることもできずに、その手の中でこと切れ、熱を失うからだを抱きしめ慟哭することしかできなかった。たかだか幼児ひとりの埋葬に、どこかの国の総統が死ぬよりもおそらく多くの花が手向けられたという。墓の場所は、明かされていない。


 それもそのはずであった。ユーリヤは埋葬されなかった。死したうつくしいだけの赤子に、研究者として目が覚めた研究者は赤子としての興味を持たなかった。それはこの世にふたつとない貴重なクローンの検体であった。
 ユーリヤの肉体にはメスが入った。筋肉、肌、瞳、委縮した脳までもすべてを袋に真空パッキングを施して冷凍保存された。構造から遺伝子状態まですべてチェックと改造を加えた。改良ではなかった。まるで悪魔のようななにかが生まれたこともあった。そうなるたびに『保育器』は廃棄された。
 その後ユーリヤを改造し、さらに遺伝子を組み換え、偶然とも必然とも取れるなか誕生したのが『エミーリヤ』だった。
 世界最高峰の知能、人間の肉体構造を持ち、成長も人並みに存在し、女としての性を持ち、月経もくれば絶頂も感じるという非常に都合の良いにんげんが出来上がった。
 エミーリヤがこの世に創造されたのはもう三十年近く前の話だ。以降もエミーリヤは改良が続けられてきたが、後続に負けぬと言わんばかりに初代エミーリヤは生き延び続けた。
そうして十二年ほど前、エミーリヤが人間との間に次世代を作った――言い方を変えれば研究者らによっていのちがもたらされた。本当に普通の人間のように性交を重ねて子どもをつくった。――造った。創られたものではなかった。


 そうして半クローンの子どもが生まれ、今現在十二歳。ユーリヤやエミーリヤと同じように金の髪を持ち、うつくしい美貌を持った。母性という新たな境地に至ったエミーリヤの愛の中で育ったがのちにエミーリヤが早すぎる寿命をもってこの世を去ったあと、子どもは研究所から姿を消した。逃がされたともいわれているが、詳細はわかっていない。なおその際見張りをしていた男たちは端からすべて『処分』されたので詳しいところはどちらにせよわからないが――居所をつかんだ時にはもう数年たっており、その子どもはずいぶんと成長していた。居所をつかめたのは当時のそのうつくしい特徴をそのままに、軍に入隊してきたからであった。少年として健やかに成長し、本来ならばそのように砂埃に頬をよごすことなく研究室の白い一室で生を終えるはずであった――その半クローンは名前を『イリヤ』という。


 びい、と部屋に布切れの音が響く。仮眠室の布はびりびりに引き裂いてしまった。あとでいくらでも処分を受けてやると思った。腹の中で蠢くそれを、なにかもわからずに一突きにしてやりたかった。
 寄生虫にでも食われたかと思った。腹の中を大きな芋虫に食われているような痛みと、気持ち悪さだった。おおよそ健康体でも正常でもなかった。
 頭の上のこの鉄バケツを何度床に打ち付けて人間を呼ぼうかと思ったかしれない。早朝、もうあと二時間もしないうちに当番が見回りに来る。それまでもたせなければならない――しかしこの蠢くなにかが阻む。
 今この場になぜナイフがないのか。普段であれば隠しナイフの一本や二本は持っているのに。
「……ッ、ん、」
 せりあがる嘔吐感が、口中を、けがす。


   13


 腹が膨れたように見えたのは、それから三ヶ月もしないうちであった。
 以前のような吐き気は消え、まるっきり元気になったイリヤは、一向に転属がかからないまま整備部で油まみれのその指でそこらじゅうを磨き上げたりスパナを握って駆けまわっていた。
 からだが重い、と感じたのは仰向けの作業から起き上がった時だった。
「よいしょ」
 以前は腹筋だけでさっと起き上がれていたのが、なんとなく腕をついていないと起き上がれない。異様に体の衰えを感じた。
 同僚から「お前太ったか」と言われたのもちょうどそのころだった。むちむちになったというよりはなんとなく丸くなったように見えるという。
「前ははりがねみたいに細かったが、いまはなんとなく人だな」
「人ですよ」
 笑う同僚にいらっとして、食べていた食糧のビスケットを数枚ぶんどる。
 ジョークで濁されつつも、太ったというのは事実以外の何物でもなかった。

 腹の丸みは固く、肉のやわらかさはなかった。張るようなその腹をひとさすりする。
 不思議だった。特に食生活を変えたつもりもないのに、よく食べるようになった。からだが重いのもそのせいだろうが、どうしても腑に落ちない。
 からだの中でもう一匹なにかが棲んでいて、それの分まで腹におさめているような気分だった。
 なにかしたか。こんなになるようなからだに、自分はなにかしただろうか。


 自分は男だった。それはわかっている。でも自分の出自がまともではないことも知っている。どこに住んでいて、どこから逃げ、どう生きようとして、しかし許されずにここへやってきたのか。許されない――どうしても生きるにはこの軍でやっていくしかなかった。いろんなことをした。体を売ったこともあった。ひとを殺したこともあった。でもどうしても生きるのに困って、そうしてこの軍で生きていくことに決めた。軍なら毎日の食事が保証される。かわりに命の保障がないだけで。
 腹をさすった。母のことも、母のできそこないのことも――すべて知っていた。知っていて、こう思ってしまう。

 自分の中に「妙なモノ」ができるように、細工されてはしないかと。

 イリヤは造られたいのちだった。無理矢理まぐわらされた男との間にできた、普通ならば「まちがいのこども」だった。母は愛してくれたけれど、父の顔はついぞ見たことがなかった。イリヤはひとでもひとでないものでもない、おぞましいいきものだった。
 そのおぞましいいきもののなかに、よもやさらにおぞましいものを仕込まれてはいないかと、夜ごと不安がつのってゆく。
 母が死ぬ前後、イリヤは幾度となく実験に連れ出された。どんな実験かも知らないが、つねに麻酔で意識のないまま行われていた。なにをされていたか、定かではない。
 これが、おそろしいなにかではないのかと思うと、――イリヤは正気ではいられない気がした。


   16


 いよいよ自分は性別を間違っていたのかもしれないと思い始めた。
腹が異様だった。異様としか言いようがなかった。ふくれた腹はどう見ても肥満ではなかった。しかし二の腕に少し肉がついたから栄養失調というわけでもなかった。
 自分は男であったはずではないのか。女を腹の下で征服し、快感に屈服させて腹に自分の匂いと独占欲を植え付ける、なのにこれでは――これでは、まるで自分の方が胎の中に次世代を宿した女のようではないか。
 誰とも性交渉なんて持ったことがない、なら誰の種を? 誰の胎が? これは、ここにはなにが入っている?
 この腹の中に、呼吸すらもまだ知らないおそろしいなにかがいる。
 このはらの、なかに。

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