彼は今日も愛をささやく

「愛してるよ真田」
 煙草を咥え、いやらしい顔をして姫木はこちらを見た。
「おまえにペニスが切り落とされようが俺はおまえをイかせる自信があるね」
「ホルマリン漬けのペニスでわたしの尻を穢すなクソ野郎」


 喫煙可のバーカウンター。普通なら禁煙のところが喫煙所になっているのは、ひとえにマスターが煙草は酒のつまみと称してバカスカチェーンするイカレスモーカーだからだ。
 そのクズマスターの姫木は今日もシェイカーを振りながらしゃべり倒す。そんなに口がひまならいっそ猿轡を咬ませたい。
「そもそもおまえのペニスなんか切り落とすほどのサイズないだろう」
「なに? 今のってもしかして俺のマグナムを生で見て舐めまわしたいってこと?」
「幸せな変換だな」
 ウーロンを口に含んで口を湿す。姫木はいっそ殺意が浮かぶほど下ネタしか言わない男である。
「でも俺の息子、十八センチあるよ」
「……わたしのなかにどんどん不必要なおまえの情報が増えていくな」
 おまえのサイズなぞどうでもいいと眉を寄せこめかみを揉む。その様子を見たのか見ていないのか、しかし言葉だけは漏らさず聞いて、姫木は目を輝かせた。
「俺のことばかりで埋まっていくなんて嬉しいよ真田」
「みかじめ払えずにコンクリ詰めになってしまえ」


 このバーは夜七時開店、閉店は雑で窓の外の夜が白み始める頃に閉める。いわゆるゲイバーだが、姫木が選り好みしているのか顔のいい男ばかりが集まる。たまに他より劣るかという男がいても中身がいっそ食い物にされそうなほどやさしい男であることがほとんどだ。
 今日は火曜の夜なせいか、十五人分も席がない店内の客はかなりまばらだった。水曜定休の仕事だろうというメンツがちらほら、あとは毎晩一杯だけ飲んで帰るような常連ばかりだ。
「マスター、今日もさなっちゃん口説いてんの?」
 真田の二つ隣に座るごついピアスの青年が姫木に話しかける。水曜定休組の彼は火曜だけ飲みに来てはこうして姫木に話しかけて恋人を待っている。
「毎日口説いてるよ」
「でもすげなく断られてるんだね」
 ピアスは頬杖をついて笑った。姫木は彼に紫色のカクテルを差し出しながら、華麗に躱す。
「本気で断ってるなら酒も飲まないのにウーロンだけで俺と毎日しゃべろうなんて思わないよ」
「飲むなというのはお前だろうが」
 ウーロンの氷をカラカラ言わせて真田は口を挟む。多少なら飲めるのに、それを毎日遮ってウーロンやノンアルコールを飲ませているのはほかでもない姫木だ。
「飲めてもいっぱいが限界だろ、真田一杯で潰れるくせに」
「いくらなんでももう少し強いに決まっているだろう」
 くぴくぴと居酒屋に来た家族連れの子供の気分でウーロンをすする。なぜカウンターにまで座って酒が飲めない。
「一杯飲めるなら僕がおごろうか、さなっちゃん」
 ピアスの申し出を即座に断ったのはやはり姫木だった。
「真田の酔っ払った可愛いところは俺しか見てはいけないことが法律で定められてるから」
「どこの悪法だそれは」


 ピアスの彼氏が迎えに来たのが三時を過ぎた頃。そのまま客は減り続け、空が白むよりも早く店じまいとなった。
「真田」
 紫煙を吐きながら店のシャッターを閉める姫木の背中を振り返り、なんだと返す。
「うち、来るだろ」
「おまえの家まで行かないと飲めないからな」
 真田は胸ポケットからケントを取り出す。メタリックの背面が品がなく嫌いなのだが、味はこの上なく好みだ。
 咥えてライターを探すが、胸に入っていない。真田は姫木と違い一日に二本吸うか吸わないかなので、ライターを忘れていたことに今の今まで気づいていなかった。どうやら自宅の定位置に忘れてきたらしい。
「姫木、火をくれ」
 右手を伸ばしてライターをねだったのだが、姫木の幸せな頭はそう受け取らなかったらしい。
 三歩近寄って口づけでもできそうなほど近寄り、咥えた煙草同士を押し付けた。じう、と焦げる匂いと一緒に、しばらくしてケントの煙が上ってくる。
「別にそういうのをねだったつもりはないんだが」
「俺がしたかったって言ったら納得するだろ」
 口元を歪めて痛いところを突く姫木。
「……まるでわたしがおまえのことを疎ましく思っているみたいだな」
「表向きはそうだろ」


 店から車で十五分ほどの道のりを、姫木は一分たりとも無駄にすまいと助手席の真田に触れ続けた。
 右手でハンドルを握り、左手で真田の右手にちょっかいを出した。
 しかしそれをいやとせず、真田は窓の外に流れていく朝焼けた建物を見つめる。指の股をこすり陰部に入り込もうとするような指さばきをされてもまったく反応を返さぬまま。


 部屋について、ぱちりとリビングの照明をつける。姫木の部屋には乱れた万年床のシーツがなぜか部屋のど真ん中に放置されていた。
「なんでこんなところにシーツがあるんだ」
「ゆうべ起きだしてからそこで脱ぎ捨てた」
「まだ全裸の生活してるのか」
 夜の仕事をしている以上、姫木は世間一般で言う健全で健康的な生活を送っていない。昨日起きだしたというのはおそらく夕方五時頃の話だ。普段は早朝に起き抜けて深夜に眠る年中睡眠不足の真田には考え難い話である。おまけに家では帰宅後風呂から上がって寝て起きるまで裸族だ。せめてパンツぐらい穿けと思うが、パンツすら穿かず着るものはシーツだと思っているらしい。
 シーツを拾ってくるくると腕を使って適当に巻く。洗濯機に放り込んでやろうと振り返ったところに、情欲を目に浮かべた姫木がいた。
 流れるように近寄って腰を取る姫木のあまりの自然体に、真田はもう逃げを打つことはできなかった。引き寄せられて唇を重ねた。
「……ん」
 深く入り込んでくる姫木の舌が、真田の口内でのたうった。鼻から抜けていく真田の息が、声を交えて姫木の耳に届く。せっかくまとめたシーツが床に落ちた。
 息継ぎの間にさなだ、さなだと囁いてくる姫木がどうしてもいとおしい。
「待ておまえ、わたしはこれから仕事が――」
「悪いけど寝不足で行って」


「いっそおまえには殺意が沸くよ」
 三十路に突入して余年、腰に不安の出てきた真田は眼鏡をかけながら姫木を睨めつけた。姫木は騎乗位を好む。しかも真田が動くのではなく下から突くのを好むので、骨盤と背骨のつなぎ目あたりが痛くて仕方ない。
「遠慮なくガンガン突くのはやめてくれないか」
「やだ。あの時の真田が一番やらしくて好き」
「やだっておまえは子供か」
 響く腰をおして布団から起き上がる。行っちゃや、という姫木は捨て置いて風呂場に入る。
 全身ローションまみれにされたのを、必死でボディソープで落とす。あぶらっぽいのがひどく落ちにくいのに姫木はこれでもかと使う。
 それでも姫木は本当に真田がされたくないことはしない。ゴムは必ず使っている。
 風呂の防水時計を見やり、朝七時過ぎなのを確認する。昨日は夕方五時に起きたのですでに十四時間起きていることになるが、ここから真田の通常の生活が始まる。
 もともと毎日の睡眠時間が四時間ほどしかない真田だが、オールはほとんどしたことがない。今日は地獄だと思うと頭が痛くなる気がした


「気をつけてね」
 布団の中からやりきってつやつやした姫木が手を振る。姫木がスーツをピシッと着る生活を送ったのは既に記憶に遠い。
「今日はもう店には寄らんぞ」
「うんわかってる」
 ゆっくり寝てねという姫木が憎い。非常に憎い。
「寝かせたげらんなくてごめんね真田」
「三ヶ月ぶりのセックスを無下にするようなこと言うな」
 ぼろぼろのキーホルダーがついた鍵を取り出しながら、真田は十年来のパートナーに一瞥をくれて玄関を開けた。

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