嘘つきな天使

2014四月馬鹿

「うっす松本」
 朝。ジャージ姿で登校してきた友人は短髪の頭をぱりぱり掻きながら松本のもとへやって来た。
 この男は山田という。お互い平凡とした苗字だが、幼稚園からこれまで同じ学校に通ったにもかかわらず一度も同じ苗字のクラスメイトに遭遇しなかった。いまだに苗字で呼ぶのはそのせいである。
 長い腐れ縁だ。少年野球も一緒に入り、現在は陸上部に所属している。お互い長距離選手というのももう腐れ縁過ぎて逆に気色悪いほど。
「ゆうべのアレ、マジでやんの」
「まあどうせクラブだけやし。ちょうどいいんじゃね」
「意味わからん」
「一日くらい馬鹿やってもええやろ。普段真面目なんやし」
「そりゃそうやけど。いや違うやろ」
「固く考えんなって、一日だけやっての」


 ゆうべの、というのは電話のことである。LINEの電話のことではなく、普通に携帯での、という意味だ。LINEはどうも繋がりが悪いのでめったに使わないが、大体毎晩電話している。
 電話の内容はおおよそどうでもいいこと八割、二割が部活のことだ。今の時期はぎりぎりシーズンオフということもあり、練習内容についてはさほど話さないが、上が卒業し下が入ってくるこの時期、人間関係というのがこじれてくる時期ではある。
 しかしゆうべの電話はおおよそ十割がどうでもいい話だった。原因は山田である。
『俺と付き合わん?』
『……ごめんオレちょっと今頭おかしかったかもしれん。もっかい言ってくれん』
『付き合うって話』
『ごめん頭おかしいのお前やったわ。どうしたん、なんか悩んどんのか。頭のネジ締めたろか』
『ぜひ締めずに聞いてくれよベイビー。エイプリルフールという全世界の人間が馬鹿になる日がある』
『……………』
『ほんでな、それで付き合おうって話やし』
『冗談やろ』
『冗談やからやるんやし』
『お、おうってなってるオレの話聞くか?』
『聞かん』
『はったおすぞボケ!』
 電話の向こう、相手は大爆笑している。
『ええやん一日だけやし』
 ネタやネタ、と山田は笑う。
『一緒にハジメテ経験した仲やろ』
『まぎらわしい言い方すなハゲ!』


 という流れである。さすが進学先に国公立を第一志望している男だけあって考えていることがよくわからない。
「ほれ松本」
「ん?」
「手ぇ出しや」
 わけもわからず手を出すと、その手を山田が掴んだ。代謝のいい山田の手は春のあったかさに少し汗ばんでいる。
「うわっお前汗かいとるやんけ」
「暑いんやし。松本は汗かかんな」
「このぐらいじゃあな」


 ざわついたのはやはり部室からである。
 男子部室は騒然としていた。部長副部長がホモだという件についてである。
「きゃー、やだぁせんぱぁい」
「アタシたちの裸にまで欲情しないでぇ」
「キモいぞお前ら」
 ふざけて言うのは揃いも揃って筋肉つけた陸上部員。あいつもこいつもみんな童貞かと思うと笑えてくる。
 しかし一番悪乗りしているのは山田である。ロッカーに松本の手首を押さえつけて一言、
「馬鹿、妬くなよ松本」
「死ね山田」
 なぜお前に攻められにゃいかんのか。身長も体重もほぼ同じ、なぜ山田が攻勢に立っているのかわからない。
「つうかお前らとっとと着替えろ! 女子が道具取りに来んぞ」
「あいつらデリカシーの欠片もねえから諦めたわ、俺は松本の方が可愛いと思うよ」
「はいはいお前も可愛いよ。可愛いからライン引きとピストル支度頼むな山田部長」
「待ってそれ松本の仕事じゃ」
「頼むよ幸宏……オレのこと、好きなんだろ」
 ね、と可愛くおねだりすると山田は渋々といった感じでやってくれた。イレギュラーに先生に呼ばれていたので頼んだのだが、周りは笑顔の下に(魔性め……)という感想を隠している。


 帰り道にも手をつないだ。コンビニに寄ってアイスを買う。ガリガリ君にまた変な味が出たというので寄ったのだが、コンビニには置いていなかった。
 ふつうのソーダ味を手に取ると、山田がけちくさと笑った。
「おごったるからちょっとええの買えや」
「ハーゲンとか」
「お前前にハーゲンダッツ嫌いや言うとったやんけ」
「あの甘ったるいの無理やねん」
 言いながらやっぱりガリガリ君を手にとった。オレにはこのぐらいがええねんと言うと、山田は安上がりでええわとパリッテを取りながら松本の頭に触れた。


 レジを済ませて外に出た。春なのだが、まだ少し肌寒い。しゃり、とガリガリ君を噛むと、ソーダが口の中で溶けた。
「おいしい」
 アイス久々やわ、ともう一口かじると、俺にも一口くれと山田は口を開けた。
 ん、と差し出すと、しゃりっとまた角がなくなる。つないでいた手に、少し力が込められた。思いのほか冷たかったらしい。
「昔はこればっか食ってたな」
「あと六個入りの棒アイスと、チューペットな」
 パリッテもくれと口を開くと、口元までアイスがやって来る。先を咥えてそのまま口を引くと、クリームに絡みついたチョコレートがぱきぱき音を立てた。
「……濃いな」
「このでろんとした甘いのがええねんし」
 鼻に息を通すように笑う山田を、松本はさも興味なさそうに流した。
「ほらお前、ついてんぞ」
 不意にやってきた山田の親指がぐいっと松本の唇の端をこすっていく。太く節ばった指だった。そのくせ細爪で、きれいなバランスを保っている。その指が。
「んむ」
「ん、取れたな」
 その指をそのままべたりと唇にひっつけてきた。
「舐めろって」
「んーんー」
 はいはいと言ったつもりでぺろりと舐めた。そのままぱくりと咥えて、またひと舐めして口を離す。
「お手拭きもらったやろ、それ使えや」
「あんなんより早いやんけ」
 お前が舐めたほうが、というのがなんとなく正論に聞こえる。


 家に着いたのは一時過ぎだった。今日は親がおらず、昼飯はカップラーメンのつもりだったのでコンビニで適当に買おうかと思ったのだが、山田も一緒に食べようかななどと言い出したので、コンビニのあとスーパーに寄って惣菜を四品ほど買った。揚げ物メイン。
「おうちデートか」
「別に普段もやっとるやろ」
 いやー今日はせっかくやし、と山田が笑う。コロッケとから揚げをレンチンからのオーブンする間、リビングテーブルをかたす。座布団を敷いて、冷凍白飯の解凍したのをでんと置く。
 カキフライとイカリングはまだできたてがあったかかったのでそのまま箸を掴んだ。
「揚げもんうめえな」
「まあ安定の定番やろ」
 しばらくすればレンチンオーブン隊が出来上がり、揚げ物でテーブルが埋まる。
「なんかいつもと変わんねえな」
 イカリングをかじりながら、山田が口を開く。
「せやな」
「割とここで飯も食うしな」
「オレら実ははじめから付き合ってたんじゃねーの」
「いや、でもちゅーもセックスもしてねぇし付き合ってるわけとはちゃうんちゃう」
「せやな」
 と、そこで目が合った。なんの台本もなく、そこで目が合った。
 真隣にいるのでそうそう目も合わないはずなのに、どうしてか目が合って、そしてそのままそらせなくなる。
 なんだ、なんだこれ。
 混乱とも言えない混乱をしているうちに、山田はまたも口を開いた。
「俺、お前となら」


 しゅしゅ、と山田はティッシュを引き抜いた。四肢の痙攣が収まらない中、その音はやけに大きく聞こえる。
「俺も出来る気がするとは思ったけどほんとにやるとは思わなかった」
「気持ちよかったんだろ」
「……お前なんであんなうまいの」
「松本のためならいろいろ努力します」
「付け焼き刃のくせに」
「付け焼き刃で太刀打ちできれば真剣にもなんじゃねーの」
「誰がうまいこと言えと言った」
 くそ、と震える腰をおして上体を起こした。
「やんなかったらエイプリルフールやったんやけどな」
「山田」
「ん?」
「お前じつは俺のこと好きだろ」
「嫌いではないよ」
「だろうな」
「ていうか毎年毎年やってて飽きねえ? もう四年目だろうが」
「いや四年もやったらそろそろ本気なんじゃねえのお互い」
 そのへんどうよ朋希くん、とこちらを見る山田が憎らしくて、やっぱりオレはホモなんかじゃねえと内心で誓った。
 

inserted by FC2 system