「アル兄ちゃん」
その瞬間、ごぼりと水が騒ぐ。弟のアルフォンソはいつも僕のことをそう呼んだ。
昔からの癖で、お互いにお互いのことをアルと呼ぶ。アルフォンソと、アルベルト。
今だに風呂ですら一緒だというのに、二人は非常に仲がよろしくなかった。
アルは常に僕を狙っていた。心を狙っているのかもしれないし、体を狙っているのかもしれない。もしかしたら命を狙っていたのかもしれない。
春の、雪解けはすでにはるかうしろへ去っていっても少し冷たいその川の水は、僕を包んでいる。
けして優しいものではなかった。
ごぼごぼと肺の中身は泡となって消えていく。からだがぺしゃんこになりそうなほどの苦しみを覚えた。
アル、アルと名を呼んでも泡の中にくるまれて消えていく。きっとアルには届いていないのだろう。
本当に兄弟仲はよろしくなかった。似た顔を持つ双子でありながら、つねにいがみ合い、争って、蹴落とし合いながらこの十年を生き抜いてきた。
たかだか十の子供がなにを言うかと思うかもしれないが、特別富裕層というわけでもなく、極端に貧困層でもない中間を生きる僕らにも、多少の問題はある。それでも二、三年ほど前まではこんなにもひどくはなかった。
兄である僕は、おおよそ女を愛せる人間ではないらしいこと。特にこれといってトラウマがあるわけでもなく、ただ初めて好きになったのが隣に住んでいた八つほど上の男だった。その秘密を弟と共有してから、僕らの関係は更に悪化した。
弟は同性愛者嫌悪症だった。そう言うともしかすると世間的にはよろしくない言い方なのかもしれないが、とにかく同性愛をとことんに嫌うタイプの人間だった。
しかし弟は兄をそこまで嫌うことはできなかったようだった。今までのような嫌い方がホモフォビアの方に転向され、兄自身のことは普通に慕うようになった。
だからこそつらかった。兄を慕うまま、一方で同性愛は嫌う。どうして男なんて、と蔑んで忌み嫌う。
そんな弟を僕は嫌った。どうしてもっと寛容になれない、お前が女を好きになるように僕は男が好きなだけだ――。
その結果がこれだ。
弟が水面の向こうでなにかをしゃべりながら僕を水に沈めているのは分かっていた。しかし水中の僕にはなにも聞き取れない。首を絞められてはもう未来を絶望した。
僕は抵抗しなかった。川へ遊びに行こう、などと言い始めたあたりでもう気付いていた。
十の子供がまさか人を殺し殺されているなど誰も思わない。下流に流れ着いてようやっと僕のからだは見つかるのかもしれない。もしかしたら行方不明のままになってしまうかもしれない。
僕らはいがみ合っていた。しかし弟は僕を慕い始めた。その代わりに殺したいほどの嫌悪感を感じ始めただけなのだ。しかし兄は弟を嫌ったままだった。
ただそれだけの話だ。その続きを、僕らは書き綴っている。
意識が遠くなる。真っ青に染まる晴天の空を水越しに見ながら、僕の意識はそこで途絶えることになる。
*
「僕ももうすぐ逝くよ、兄ちゃん」
僕は力尽きた兄を右手で捕まえながら、より水の深い方へ歩みをすすめる。
川を三分の一ほど渡ったところで足を止めた。ここから先の足元は保証されていない。水の色が変わっていて、水底はおそらくずいぶん下なのだろう。
どうせ子供が川遊びのあいだに足を滑らせて死んだとでも思われて、事故として処理されるのだろう。兄の首の痕さえ見つからなければ、本当にわからないままだ。
「ねえアル兄ちゃん、僕はずっと、兄ちゃんといがみ合いながら兄ちゃんのこと諦めようとしていたのにね」
本当に罪深いのは、だれか。