マスター、珈琲をひとつサンプル:冒頭より
その喫茶店は、国道から一歩入った裏道の、営業しているのかわからない本屋と今にもつぶれそうなブティックの間にあった。
古めかしいというよりは実際かなり古いその喫茶店。夕陽のせいではないだろう少し黄ばんだ白壁、緑色の木製のドアはペンキが剥げてのぞく木すらも黒ずんでいる。小さな窓ガラスもびいどろとでも言いたげなまどろんだ透明。
オープンクローズドの札すらかかっておらず、十年前につぶれた廃墟だと言われても疑わずに信じるような。
近所から見てもあまりよろしくない、言ってしまえば子どもを一人で歩かせるのは心配な、ひとけのない路地裏。
しかし、その店にも明かりがともる。夕方、町内チャイムが鳴って、しばらくのころ。
ぱ、とだいだい色のランプが窓の中でともる。やっぱりオープンクローズドの札はなくて、おまけに表にも誘いの明かりはなく、家の軒先みたいな明かりがあるだけだ。一見さんは入りづらい。そもそも喫茶店かどうか判断もつけられないようないでたちが、ますます新顔を寄せ付けない。
それでも勇気を出して金色のノブ――やっぱりこれもメッキが剥げている――を開けてやると、コーヒー豆のほろ苦い香りが立ち込めている。狭い店内にはカウンター席が三つ。少し高めのバーカウンターに、それに揃えて高めの椅子。カウンターテーブルも飴色になっていて、いいように言えば味がある。
三席しかないその店で出されるのは、主にコーヒーだ。ブレンドとカプチーノ、エスプレッソのほか、マスターの気分で仕入れたセレクトコーヒーはだいたい三週間ほどで味が変わる。そして少しのチョコレートとクッキー、コーヒーの仕入れの合間に手に入れた紅茶や烏龍などの中国茶、百パーセント果汁のジュース。たまに手作りのスイーツ。噂ではスコッチもあるらしいが、それを飲んだという客はいない。
軽いご飯のたぐいは出ない。あくまでも『あいだの時間』を楽しむ店だ。
さびれまくった店だが、ほこりやちりはひとつもない。毎日毎日、マスターが拭き掃除から始めるからだ。
そんなマスターは何歳だかわからないような風貌だ。百八十あるかないかの細身、鉛色の肩甲骨までの髪を低めに束ねて、ちょっとだけひげを生やして。
ワイシャツベストにスラックス、エプロン。典型的なギャルソンスタイルなのに、どうしてか古くさい。なのにどことなくおしゃれ、でも無愛想。口はおおよそ店を経営するようなキャラではない口調。そんな年齢不詳のマスターがひとりで切り盛りしている。
マスターの名前を知っている常連は少ない。おおむねマスターと呼び、ごく一部の、マスターの旧友や創業当時からの付き合いからの人間だけがたまにコーヒーをひっかけに来ては偽名なのか本名なのかわからない名前を読んでいることもある。というよりマスターの名前はおろか、ほとんどの客は店の名前自体を知らない。