サンプルテキスト:墓花に散る春(一部)

「前にわたしの挿した花のままね」
 ドライフラワーとは言えないその花を引っこ抜きながら、わたしはひとりごちた。

 もはや某所というのもつらいほどの山奥。自宅から車で一時間と少しの距離にある。
 年度末と盆と暮れ。そのあたりの年三回程度は参っておかないと罰当たりと言ったのは父だった。
 月命日に毎度参れるほどのひまはない。歩いて十分くらいの距離にあれば別だが。
 まだ肌寒い三月。バケツに汲んだ水が柄杓を混ぜる。かろんかろん。夏場に聞けば涼しかっただろうがあいにくまだタンクトップには早い季節だ。
 もう墓の場所もきちんと憶えている。皮肉な話だ。
「すごい雑草……」
 冬など知らぬと言わんばかりに雑草覆い茂る土地を見て頭を抱える。
 人が土地を買いながらその土地で住居を建てることができない唯一の場所、それが墓だ。
 自分の意識があるうちにその土地で住むことはないし、だいいち死後しばらく経つまでその土地で眠ることもない可能性もある。
 この墓に眠る人も、その一人だ。
「抜くか」
 トートバッグをスーパーの袋を下敷きにして置いた。もうこの動作を、何年繰り返したか知れない。

 草引きをすると心が洗われると言ったのも父だっただろうか。まったくもって大嘘である。
 だいたいこんな労働条件で洗うもなにもあったものではない。
 今日は曇っていたものの、それでも疲れるものは疲れる。三十分ほど抜いたところで切り上げた。
 軽く掘り返してなめす。根っこを引きちぎれども引きちぎれども生えてくるから雑草の多くは雑草なのだ。
「悪かったわね年三回で」
 墓に向かって謝る。また少し、石の彫ったあたりに苔が生えている。
「こすりますよスポンジで! そんな毎度毎度苔むす意味ある?」
 ねえちょっと、と墓に愚痴る。だいたいなんかいろいろおかしい。なぜ毎度毎度、この墓はこんなに汚れているのか。寺サイドでは放置を決め込んでいるらしい。管理費返せ。
「あっまたこんなところに水あか! ちょっとは掃除しようとか思いなさいよ、自分の墓ぐらい掃除したらどうなの」
 ひとに掃除ばっかりさせて、というのは墓の主に対する怒りである。

 わさわさと花を二つに分けて、洗った花筒に差し込む。表面張力を張らせたようにたっぷり入れた水があふれた。
 来る途中のスーパーで買った仏花だ。この男は花なぞに興味はなかったのでびしゃこが入っていればなんでもいい。
 赤と紫の地味な色添え。季節によりけりだが、毎度こんな感じだ。
 そんなものよりこの男には酒のほうがいい。近所の自販機で買った缶ビールを置く。こればかりは発泡酒だと怒られそうなのでスーパードライだ。贅沢しやがって。
 線香の束に火をつける。このなかなか火のつかない感じが非常にイラッとする。コツもあるが、急ぐわけでもないのでひたすらいぶす。
 蚊取り線香はあんなに素直なのに。線香の代わりに煙草でも挿してやろうかと思うほど。
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